コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が発出されたため、今年は梼務町・野地町が通常通り神事を奉仕、祭事である道中手踊り等は全て中止という手法で八幡神社祭礼を行ってきました。
午前零時の御扉開き式に続いて午前10時からの例大祭も梼務町・野地町(祷人・汐撫、他町の関係者)が出席し、神職並び神社総代有志と一緒に奉仕して祭典を執り行いました。
修祓→一拝→開扉→神社総代有志と献饌を行い、いよいよ祝詞奏上!
今年も日々の神恩感謝と更なる御守護、御神徳を願い、最後にコロナウィルス感染症の終息を祈念しました。
次に、宮司玉串→祷人玉串→総代会長玉串→神社総代有志との撤饌→閉扉→一拝と進め、吉川先生から頂戴した祝電を披露し祭典をおさめました。
今年はコロナ禍における伝承伝統の護持の仕方として試金石になるような貴重な祭礼でした。
しかし、はやり伝染病がおさまった暁には、再び梼務町、手伝町と共に賑やかしい八幡神社例大祭を執り行いたいと心から望みます。
ここ1年コロナウィルス感染症のため、年中行事で行っている〆打ちは、注連縄の状態をみて奉仕するようになっておりました。
がしかし、氏子の皆様からやはり例大祭は新しい注連縄で迎えたいと要望があり、この8月29日に急きょ執り行うこととなりました。
早朝8時頃から神社総代、氏子町の有志が集まり出し、わらや機材を準備し、武田総代会長以下総勢22名が集合する中、8時30分に〆打ち清祓い神事を行いました。
神事終了後、神社総代と有志の皆さんは、わらたたきや注連縄しめ、仕上げなどに分かれて作業を開始!
八幡神社の境内入口にある長さ4メートルの鳥居用など始め、各所に飾る注連縄を大忙しに奉製し掛け直して下さいました。
今年のお祭りも残念ながら、神事のみを梼務町、神社総代有志で行い道中手踊りなどの祭事は中止となりましたが、新しい注連縄の張り廻らした神社で粛々と務め、大神等の神威を氏子町の皆様にお届けする所存です。
コロナウィルス感染症の影響で、今年は神職と神社総代有志の奉仕により9月1日、事始奉告祭で幕を開いた八幡神社のお祭り!
いよいよ、そのおさめが9月15日に各神事が執り行われました。
まず神事を向かえるにあたり、古くから夜籠の集いがあります。以前は遠洋漁船を始めたくさんの船主が集まり、その役を務めておりました…が現在は遠洋漁船船主、德榮丸様関係の皆様で護り伝えていただいております。
德榮丸、沖中様にコロナウィルス感染症もこともありご相談したところ、今年も快くお受けいただけたので、いつもの様に例祭神事にもご参列いだだきました。
まず午前零時に神職、神社総代有志、そして德榮丸様のご協力いただき御扉開き式󠄀を行いました。深夜の静寂の中で「ぎっ、ぎぎ~~」と御扉が開く音を響かせながら、今年も大神等をお迎え致しました。
続いて午前10時からの例大祭も德榮丸様にご参列いただき、神職と神社総代有志の奉仕により祭典を執り行いました。
修祓→一拝→開扉→神社総代有志と献饌を行い、いよいよ祝詞奏上!
今年も日々の神恩感謝と更なる御守護、御神徳を願い、最後にコロナウィルス感染症の拡大防止と終息を祈念しました。
次に、宮司玉串→参列者玉串→総代会長玉串→神社総代有志との撤饌→閉扉→一拝と進め、三ツ矢、吉川両先生から頂戴した祝電を披露し祭典をおさめました。
今年は氏子町の祭事が中止となりましたが、伝染病がおさまった暁には、再び梼務町、手伝い町と共に賑やかしい八幡神社例大祭を執り行いたいと心から望みます。
八幡神社は、尾鷲神社のすぐ近くにご鎮座しており、氏子町も尾鷲神社20町のうちの15町が合わせ務めております。
昭和50年頃までは神職が常駐していましたが、現在は尾鷲神社宮司が兼務している神社です。
今年は、コロナウィルス感染症の影響により、15町の氏子町の人々が集まって神事・祭事を進めて行くべきか?に対し会議を開き、15町から今年の梼務町であった野地町の意見等をまず聞くことなり、その後の会議でよく考慮して、梼屋を来年に持ち越すこととなりました。
しかし、このような事態だからこそ神事だけは執行し大神等の神威を授からねばと、神事は神職と神社総代有志で行う事と致しました。
この様な経緯を踏まえ、9月1日(火)に本祭を15日に執行するに当たって、八幡神社の事始奉告祭を行いました。
午前10時、神職2名と神社総代有志が本殿前に集合し、今年の状況をご報告しながら祭典を進めました。
15日も午前零時の御扉開き式󠄀、午前10時の例大祭を同じように執り行う予定です。
9月1日に事始奉告祭で始まった八幡神社の本祭(例大祭)が執り行われました。
今年は9月15日が日曜日であったため、昔を懐かしむか如く1日で神事・祭事を執り行いました。
まず午前零時に梼人、梼務町、招待者、神社総代、手伝い町の氏子達が集まり、神々しさを感じさせる静寂の中で御扉開きを行いました。
続いて午前10時からの例大祭(神事)では、子どもによる「浦安の舞」も奉仕され、日々の神恩感謝と更なる御守護、御神徳を祈念しました。
そして、清々しい秋晴れの中、午後13時より祭事がスタート!氏子達が中心となって奉仕する「大名行列と道中手踊り」が行われました。
梼受町(来年の梼務町)野地町の尾鷲節の披露、梼務町の大名行列に続き、各氏子町(手伝い町)の道中手踊りの順で、まずは町中(旧熊野街道)を練り歩きます。
充分に町中を賑やかした後、最後に八幡神社境内に上がり、大神等に梼務町を始め、各町手踊りを奉納して祭事を納めました。
お祭りの納めとして、梼渡しの儀式が行われました。
神社総代が親方(見届け人)を務め、今年の梼務町の今町から来年の梼務町(梼受町)の野地町の間で杯を酌み交わし、代々梼務町に受け渡されていく八幡神社の掛軸を引き継ぎました。
そして、無事に梼務を務め上げた今町への労いと、来年、梼を務める野地町の光明を願って、最後に皆で柏手を打ち全てを閉じました!
来年も良き祭りなるように神明奉仕に尽くしていきたいと思っております。
ゲリラ豪雨などで騒がしく過ごしてきた今年ですが、残暑もひと休みの如く、さわやかな秋風がそよいだ9月1日(日)に本祭を15日に執行するに当たって、八幡神社の事始奉告祭と梼屋開き式を行いました。
この八幡神社は、尾鷲神社のすぐ近くにご鎮座しており、氏子町も尾鷲神社20町のうちの15町が合わせ務めております。
昭和50年頃までは神職が常駐していましたが、現在は尾鷲神社宮司が兼務している神社です。
先ずは、梼務町の梼人等と神社総代が集合し、神社で午前10時から事始奉告祭を行い、本祭(神事・祭事)が厳かで盛大、そして、何事もなく執り行われるように祈願しました。
そして、午後から梼務町に出向いて梼屋を祓って祈祷を行います。
今年の梼務町は今町ですので、その町内にある梼屋に梼人・役人を始め町民等が集まり、今町の繁栄と本祭まで氏子町の代表としてお祭が無事に行えるように梼務町の役目を務められる事を祈念しました。
今日から本祭まで!尾鷲の町はお祭りの準備で忙しくなります!
今年は度重なって台風が上陸した尾鷲でしたが、最後に猛威を振るった台風24号の暴風により兼務の八幡神社の手水舎の近くに聳え立つ椎の木が引き裂かれるように倒木しました。
10月1日の月旦祭の頃は、折れた倒壊樹木が参道である階段上に横渡り通行不可の状態でしたが、武田総代会長、他神社総代有志の皆様がすぐに対応して下さり、午後にはどうにか通行できる様になりました。
しかし、折れた木の直撃を受けた階段の手すりが横倒されてしまったため、その修復を考えていた時、地元の土木建築会社の村田組様からご奉仕下さるとご連絡をいただきました。
この八幡神社の手すりは、先代の村田重平氏が寄贈して下さったものだそうで、先代の意志を継ぎ氏神神社のために今回もご奉仕を申し出て下さいました。
(村田組様は、毎年、尾鷲神社にも境内保全~玉砂利など~に奉仕して下さいます。)
過疎化で神社護持が大変になってきている昨今、このようなお気持・お志に感謝申し上げる次第です。
9月1日に事始奉告祭で始まった八幡神社のお祭りが、いよいよ9月15日~16日の二日間に本祭(例大祭)が執り行われました。
まず、9月15日(土)、午前零時に梼人、梼務町、招待者、神社総代、手伝い町の氏子達が集まる中で御扉開きを行い、続いて午前10時から例大祭と神事を行いました。
今年の例大祭では、地元の子どもの「浦安の舞」も奉奏され、神恩感謝にあわせ更なる御守護、御神徳を祈念しました。
次の日の9月16日(日)には、氏子達が中心となって奉仕する「大名行列と道中手踊り」が行われました。
梼受町(来年の梼務町)の尾鷲節披露、梼務町の大名行列に続き、各氏子町(手伝い町)の道中手踊りの順で、まずは町中(旧熊野街道)を練り歩きます。
当日、嬉しい天気予報のはずれがあり、朝から清々しい秋晴れの中、午後13時より祭事がスタート!
町中を賑やかした後、八幡神社境内に上がり、大神等に各町手踊りの奉納をして道中手踊りを納めました。
最後に梼渡しの儀式。神社総代が親方(見届け人)を務め、今年の梼務町の野地新町から来年の梼務町(梼受町)の今町の間で杯を酌み交わし、代々梼務町に受け渡されていく八幡神社の掛軸を引き継ぎました。
そして、無事に梼務を務め上げた野地新町への労いと、来年、梼を務める今町への光明を願って、最後に皆で柏手を打ち八幡神社のお祭りを閉じました!