北浦の八幡神社は昭和50年頃までは神職が常駐していましたが、現在は尾鷲神社が兼務している神社です。
今年は、7月頃よりコロナウィルス感染症の陽性者が増大し始めた現状を考慮し、神社総代役員と神職、そして、今年の祷務町である林町と意見交換を行い検討した結果、梼屋を来年に持ち越すこととなりました。
しかし、伝統文化継承を踏まえ、神事だけは執行し大神等の神威を授からねばと、神事は神職と神社総代有志で行う事と致しました。
まず、9月1日(木)に本祭を15日に執行するに当たって、八幡神社の事始奉告祭を行いました。
午前10時、神職2名と神社総代有志が本殿前に集合し、今年の状況をご報告しながら祭典を進めました。
15日も午前零時の御扉開き式󠄀、午前10時の例大祭を同じように執り行う予定です。
夏の日照りが厳しい7月24日(日)、午前10時より熊野灘部隊慰霊祭を執り行いました。
熊野灘部隊とは、本土の守護と大東亜戦争の時に、この尾鷲に組織された海軍部隊です。
今より遡りし昭和20年7月28日の早朝、連合軍の戦闘機の奇襲攻撃に遭い、当時、国土や国民、そして尾鷲を守るため、交戦したのが熊野灘部隊でした。
当時、終戦が間近だったため空爆は10時間程続き、戦局もかなり不利だったにもかかわらす、熊野灘部隊は嵐の様に着弾降り注ぐ中でも雄々しく戦い抜きました。がこの空爆で・・・戦死者147名と尊き命が犠牲となりました。
この147名の御英霊は、それぞれ出身地での護国神社にお祀りされております。
しかし、御亡骸のほとんどはこの尾鷲の地に埋葬されていますので、その関係者や尾鷲の有志の人々によって、熊野灘部隊慰霊顕彰会を発足し慰霊祭を墓所にある碑の前で執り行っておりましたが、御英霊として神社にお鎮まりいただこうと慰霊碑を建立して、現在は神社境内で慰霊祭を執行しています。
今年も熊野灘部隊の御英霊を始め大神等の御守り導きを頂戴し、予定通り熊野灘部隊慰霊祭を執り行なう事が出来ました。
戦後77年も経て、現在では日本が大東亜戦争でどの国と戦ったことも知らない若者がいるようです。現在の平和があるのは、国のため、家族のため、二つと無き尊い命をかけて下さった御英霊たちのおかげと改めて永く言い伝えていかねばならぬと感じました。
昨今、政教分離や憲法違反などと様々な事をいう人もおりますが、国家国民のために尊き命を燃やして下さった御英霊の慰霊顕彰の祭典は、宗教や政治など関係なく「日本人の心として」たくさんの方々にお参り頂くべきだと思っております。
武速須佐之男命の姉神を祀る境内社の天照大神宮!
今年は御祭神の天照大神の神威のおかげで、雨に悩まされる事もなく好天にめぐまれ海の日の7月18日、午前11時に予定通り本殿前で厳かに執り行われました。
参列者は総代会長をはじめ総代14名、他氏子9名の合計23名が見守る中、本殿の扉を開けて、常日頃から御守り導き戴いている感謝の気持ちとこれからのご指導などを祈る祝詞を奏上、その後、奉祝として地元の高校生の舞姫による「浦安の舞」の奉納が行われました。
最後に、神職をはじめ、参列者の皆様に玉串拝礼を執り行い祭典を納めました。
来年もたくさんの方の御参拝を心よりお待ちしております。