しだれ桜とともに、八重(古代)桜が開き始めたの4月16日に、恒例の尾鷲招魂祭が執行されました!
尾鷲市は昭和29年に旧尾鷲町、須賀利町、九鬼村、北輪内村、南輪内村が合併して誕生し、その際、尾鷲市は各地域の西南の役、日清、日露、そして、先の大東亜戦争で家族のため、国のために二つと無き尊い命を捧げて下さった戦没者、御英霊の御霊を合祀し作成された戦没者芳名簿を作成し、尾鷲神社におさめ、毎年、尾鷲神社と協力して尾鷲市招魂祭を行ってきました。
残念ながら、国内外の諸事情から戦後50年頃に尾鷲市は、招魂祭を取り止めて尾鷲市戦没者追悼式を開催することとなり、尾鷲神社では戦没者芳名簿を神社に残されたままとなったのを偲び、招魂社奉賛会が結成され、奉献された平和の碑にあわせ、招魂社を建立し、その御社内に尾鷲市戦没者芳名簿をおさめ鎮めております。
つまり、この招魂社には、尾鷲市全体の1447柱の御英霊が祀られております。
現在も御霊をお預かりしている以上お祭りを絶やすことはならないと、尾鷲市遺族会の会長・真井紀夫氏と相談しながら、ご遺族の皆様を始め、市長他、御招待者に招魂祭のご案内をしております。
今年は残念ながら雨のため、招魂社前ではなく尾鷲神社拝殿に約35名のご遺族、御招待者の皆様にご参列いただき、午前10時、太鼓の音を合図に祭典が始まりました。
祝詞で現在の日本の繁栄と平和があるのは、御英霊達の何事にも代えることができない御功績のおかげであること!そして、靖国、護国の神となられていつもお守り下さるが故であると感謝申し上げました。
そして、参列者一同、玉串拝礼を行い、皆で唱歌「ふるさと」を歌い祭典をとりおさめました。
式後に宮司、加藤市長、真井遺族会長よりご挨拶があり、それぞれ御英霊の御功績を讃えるとともに世界の恒久平和を願うことを参列者と共感し、その思いを込めて、濵󠄀中副議長の発声のもと、直会の御神酒をいただきました。
最後にお帰りの際、参列者の皆様に招魂社前で菊の献花を行っていただきました。
この戦没者の慰霊顕彰は、宗教などの枠にとらえられず、人間の真心、精神として執り行っていかねばならない事だと、改めて実感した祭典でした。