天下の奇祭 ヤーヤ祭り
天下の奇祭「ヤーヤ祭り」
祭典期間 2月1日~5日

ヤーヤ祭り とは、尾鷲神社の例大祭の通称名である。この呼び名の由来は、武士が合戦時に名乗りをあげる「ヤーヤー我こそは…」からといわれる。これは戦国時代に遡り、当時の庄司・仲氏をはじめとする地侍衆が尾鷲神社の大神等の武運にすがり合戦に大勝利した事を後世まで語り継ごうと、鎌倉時代の頃から執り行われてきた神事(例大祭・大弓の儀など)に期間中を賑わそうと氏子が中心で行う祭事(練り、大名行列、手踊りなど)を取り入れて祭りを行うようになった事に起因している。

当初、尾鷲神社もこの地方にはよく見られる宮座制度で、地侍衆が一番、二番、三番の親方を努め神事を執り行ってきたが、江戸時代になり、氏子の生活もだんだんと安定してきた。すると、町中から祭りにも参加したいとの声があがり、一番、二番、三番の親方に幾度となく懇願して、遂に親方衆から、その役を仰せつかり、祭りを梼人が執行する梼屋制がとられるようになった。 この事柄は、七度半の遣いとして今も残っており、その頃の雰囲気を漂わしている。

通常、梼屋制とともに梼屋イコール親方となり、この地方の大半は宮座がなくなってしまったが、尾鷲神社においては、親方の家筋が固定されてきたため、他の家系が入ることができなかった。

従って、宮座制度の親方衆が残っていることが貴重であり、その血統である庄司・仲氏らの家系が宮座・親方衆として、現在でも神事、祭事執行の重き役目を務めている。

ヤーヤ祭り は、もともと旧暦の正月(1月1日から8日)の8日間、神事と祭事が賑わう祭であったが、明治以後の新暦の採用など数度の改革を経て、現在は2月1日から5日の5日間に短縮されて執り行われている。

しかしながら、祭りの伝統の継続継承を重んじ、約350年程前(江戸時代の初期)に形成された神事と祭事を3日間短くなった現在でも、ほとんど変える事無く伝えているのがこの祭りの大きな特徴でもある。

祭りの形状は、旧尾鷲町である20町から毎年3町が祷務町となり、その代表者を祷人と称し、汐撫しおなで弓射ゆみゆいにあわせ薙刀振り、飾り弓持ちなど大名行列を仕える子役達全体を役人やくどといい、特に祷人・汐撫・弓射の3人を将党しょうどと呼び、この役人を従えて神事、祭事における奉仕の主役を務める。

御扉開き神事

2月1日 、午前零時の御扉開きで大神をお呼び出しして、いよいよ祭りが始まると午前10時に祭りの歴史を報告する由緒祭、午後7時からは、太鼓・法螺貝の音と共に旧町内を練り歩く在廻りと続く。

2日から4日の3日間は、午後7時頃から各祷屋前でのヤーヤ行事(練りと禊祓)が執り行われる。

宵宮よんみゃとも呼ばれ20町の若者達(ヤーヤ衆と呼ばれる)が集団を組んで「チョウサ・チョウサ」の掛け声と共にぶつかり練り合う。この姿は、主祭神の武速須佐之男命の武神を称えるが如く、勇壮豪快であり、この祭りの祭事の一番の見物となる。

ヤーヤの練り

ちなみに 祭り期間中、各神事・祭事前に必ずといっていいほど、海中に飛び込み身体を清める禊祓を行うが、このことを垢離掻きこりかきと呼ぶ。各祷務町の役人等は毎夜、垢離掻きを執り行い諸事奉仕するのが古くからの習わしとなっている。

最終日の5日は、午前9時30分に神社で例大祭を執行した後、各祷務町はひとまず町へ戻り、槍・鉄砲隊に囲まれた大名行列を組み、又、祷務町以外の町からは手踊りで町中に繰り出して宮上がりを行う。

この頃から神社が一段と賑わい、境内において宮上がりした順番に、祷務町は子役の子の薙刀振り、それ以外の町は手踊りなどをそれぞれ披露する。

祷務町を含む20町が全て宮上がりした後、夕方5時頃から神事・祭事の見届け役である宮座・親方衆と盃を酌み交わして見守る中、将党・役人等は再び垢離掻きを行い、穢れをおとした身体で大弓の儀を奉仕する。

大弓の儀とは、各祷務町の弓射が14メートル先の的に五穀豊穣・大漁満足を願い弓を放つ神事である。

垢離掻き後、宮座・親方衆を始め役人他、関係者が所定の座に着き、的の前で宮司が祈祷するといよいよ儀式が始まる。紀州・小笠原流からの流れをくみ、一立ち二矢ずつで七立ち、合計で一人14矢ずつ射る。又、弓結い神事の的は、通常円を重ねて作成するが、当神社の的は正方形の中心に1円玉の大きさの点を描く珍しいのが特徴である。この点を星と呼び神事で星を射貫いた梼務町は、祓いと祝いの両方の意味で町を挙げて伊勢神宮に参拝する風習が伝えられている。

大弓の儀 が終わった八時半過ぎからお獅子の出御が執り行われる。

これは尾鷲神社の神宝である獅子頭へ大神等にお遷りお出まし戴き、町里の吉凶占いを行う神事である。

宮司が獅子殿前で祝詞を奏上し、妻座(親方筋)と汐撫、氏子により祭座にいる親方衆の前に獅子頭(文化財指定を受けたので現在はレプリカ)を運ぶ。この時、祭りに集まっている氏子達より「オシシじゃ」「オシシじゃ」と賑々しく掛け声がかかる。宮司が大神等にお獅子へお遷り願う祝詞を奏上し、宮司以下神職二名で獅子頭をかぶると、一番親方の世古氏が「よござるか、よござるか」と伺い、同じく宮座の一番親方の庄司氏が呼吸をあわせ「御機嫌よろしゅう、よろしゅう」と口上を述べると、世古氏が叩く太鼓の調子にのってお獅子が立ち上がり、町里見に出御する。壱の鳥居あたりで大神等の御神威を仰ぎ元の祭座に戻り獅子頭を納める。

尚、お獅子が出御中、世古氏は神事の無事を願いながら太鼓を叩き続けなければならない。

以下、本殿に御戻り願う祝詞、「オシシじゃ」「オシシじゃ」の掛け声、獅子殿入納と出御の作法に基づき執り行い神事を納める。

宮上がり~神楽奉納

大弓の儀

以上の如く、神事、祭事を滞り無く納めた後、最後に梼渡しが行われる。

獅子頭の出御

これは、今 、無事に全てを納めた梼務町(以後旧梼)と来年のヤーヤー祭りを執行する梼受町(以後新梼)の間で親方衆立ち会いの中、御神酒を酌み交わす儀式である。

宮座親方衆を上席とし新旧梼が向かい合い着座。まず、親方と旧梼、新梼の順で酌み交わし、続いて親方に同じ順番で浜焼したタカノハ(現在は鯛を使用)を一尾を渡す。次に、新梼と旧梼で御神酒の酌み交わしと浜焼した魚の交換しする。又、御神酒の交換(酌み交わし)時、なますを肴として用意し各々にすすめる。以上、庄司氏の拍手の締めで梼渡しが終了し、長い祭りの幕が閉じる。

宮座制度が今でも残り、昔ながらの神事と氏子中心で賑やかす祭事が5日間にわたり執り行われるヤーヤ祭りは、全国でも珍しく「日本の奇祭・天下の奇祭」として名高き祭りで平成14年に三重県の無形の民族文化財に指定されている。