神社の祭典の種類は、大きく小祭式・中祭式・大祭式の三つに分かれています。
その中でも、祈年祭・新嘗祭・例祭(ヤーヤ祭り)は三大祭と呼ばれ、必ず本殿の御扉を開け執り行う大きなお祭りです。
祈年祭は毎年、総代会長の武田氏を始め、神社総代、また、氏子崇敬者󠄀を中心に総勢20名以上が参列する中で執行して参りましたが、今年はコロナウィルス感染症を考慮し、武田会長と氏子崇敬者󠄀1名の2名に参列いただき奉仕致しました。
武田会長たちが見守る中、「ギッ、ギッギー」と神々しく本殿御扉を開き、祈願祝詞を奏上!
今年も五穀豊穣、皇室の弥栄、国家安寧、そして、尾鷲市の活性・繁栄を祈り、また、コロナウィルス感染症のいち早い終息も祈願しました。
大祭式なので、通常なら「浦安の舞」も奉奏するところですが、今回は残念ながらコロナウィルス感染症を踏まえ、舞姫も奉仕を遠慮していただきました。
しかしながら、今年も例年と変わらず大神等の高き尊き大神徳を頂戴しながら美し国の良き国と多くの幸福を祈願できた祭典となりました。
このお宮の日(3月8日)は、三重県神社庁の教化活動の一環として、平成10年から地域社会への貢献を目指して、県下挙げて各神社が取り組んできました。
尾鷲神社では、当時から人形や結納品をおさめたいとの問合せが多々見られたことから、この日を人形供養祭並びに結納品焚上祭として奉仕することにしました。
祭典奉仕し始めてから約20年程の歳月が経ちますが、このようなお祭りを祭典として行っている神社は数少ないようで、現在では市外や県外からも人形供養等に来られる方もおられます。
来られた方々の話を聞くと、長年愛着を持って大切にしてきた人形には、その思いやたましいが宿っているような気がするので、はやり神社でお祓いし供養しておさめたいとの事です。
今日も雨の降る中、朝8時から受付開始!お宮の日に持ち込む人形などはガラスケースなどのままで納めて良いことになっているため、神社総代の皆様には早朝から集合していただき、人形とケースなど区分けして潔斎場(弓場)に人形を並べてもらうように奉仕を依頼しております。
午前11時に祭典を執行!区分けしてもらった人形、ぬいぐるみ他合わせて200~300体程が集まり、清祓い(性根抜き)の供養をしておさめました。
尾鷲神社では、氏子・崇敬者からの要望がある限り、お宮の日を続けていく所存です
毎年、3月3日は桃の節句祭を午後7時に執行し、その後、尾鷲おひなさままつりの会場のひとつになっている参集殿で、参列した子ども達や保護者の皆様と団欒をもつ集いが恒例となっております。
がしかし、コロナウィルス感染症が未だ治まらないため、今年は尾鷲おひなさままつりが中止となり、桃の節句祭も子ども達を集め、そして、団欒の集いも取り止めと致しました。
ただし、午後1時に祭典はいつも通り神職だけで子どもの健やかなる成長・育成とコロナウィルス感染症の終息を願って執り行いました!
来年は再び7段飾りの京雛を始め、たくさんのおひな様をを参集殿に飾り、たくさんの子ども達とお祝い🎁出来るように務めたいと考えております。
皆様もまた尾鷲おひなさままつりに是非お足をお運び下さい!
早咲き桜も葉桜となり春が待ち遠しく感じる3月1日(月)、午前9時より恒例の月旦祭を執り行いました。
天候にも恵まれ11名の氏子崇敬者が参列する中、今回は栃木県や群馬県で発生した山火事やあおり運転など、私たち人間が原因の元で起こる災難について祈願しました。
これは人々が奢りから来る怠慢や自然の力の軽視などと倫理道徳心が欠如し天測天律に背く行動が多くなっていると思われます。
そこで、もう一度人としての心(精神)をお導き下さるように大神等にお願いしたわけです。
修祓→宮司一拝→献饌と進めて宮司の祝詞奏上と進み、次に3尺の神德(しんとく)太鼓で太鼓大祓を奉仕し、氏子崇敬者󠄀と共に大神等の神威を仰ぎ、最後にコロナウィルス感染症の終息も願い、皆で玉串を捧げて祭典をおさめました。
これからも世の中が恒久平和を迎えるように!月旦祭・月次祭に執り行っていこうと思っております。
皆様のご参列、心からお待ちしております!
国民の祝日である2月23日は、畏くも今上の天皇陛下のお出ましになられた日(誕生日)であります。
この国の歴史や成り立ちからもわかるように、日本における天皇陛下の存在は、とても大切、そして国風の要です。
今年もコロナウィルス感染症の状況をお感じ下さり、まずは国民の安泰をと御自らの奉祝事を取り止めて、いち早く日本を始め世界の安寧を祈るお言葉を頂戴しました。
その姿に正に現人神の存在を感じ、萬世一系を守り続け百二十六代にわたって、国家の平穏、世界平和と国民の幸せを祈る祭りをなさっている事に改めて感銘を受けた次第です。
胸にしみるお言葉を拝聴し、我ら神職も改めて今上陛下に感謝するとともに御皇室の弥栄を祈念し、天長祭を執行致しました。
日本人として我が国の歴史、伝統をしっかり学び理解し、そして伝えていくこと!
これこそ神社の存在価値であり、又、祭りの意義(祭祀の厳修)することです。
今年は、特に寒暖が厳しく体調をを維持するのが難しい中、春の訪れを感じさせる河津桜がほぼとなった満開となった2月15日に月次祭を執り行いました。
先ずは、あの未曾有の3月11日、東日本大震災から10年にもなる2月13日に東日本大震災の余震として震度6強の地震に遭い、再び被災された方々にお見舞いを申し上げます。
まだまだ復興が十分に進んでないところに、このような事態が起こったので、月次祭では大神等の神威を仰ぎ、速やかな震災余震から復興進展や、いち早いコロナウィルス感染症の終息を祈願しました。
これからも氏子崇敬者の皆様のご参列、心からお待ちしています!
2月5日の午後4時から祭りのおさめの神事が始まりました。
まず、親方衆と梼務町で着座の儀(盃の酌み交わし)を行い、今年は梼務町が高張などを塩水で清めして弓場に集合!
的を取り付けて位置を確認後、宮司が的の前で大弓神事の祝詞を奏上し、午後4時20分過ぎ、親方衆と梼務町と神社総代の有志が見守る中、いよいよ大弓の儀が始まりました。
今年はコロナウィルス感染症の拡大防止を考慮し、各梼務町有志が代理として弓射(ゆみゆい)を務めました。又、作法もひと立2矢を合計3立(全部で6本)で執り行う3立ちおさめ(昔の1日の弓射神事)で執り行いました。
大弓の儀が終えた午後4時45分頃、最後の神事である御獅子の出御(しゅつぎょ)が行われました。
獅子殿(祝詞)→参集殿から大神をおのせして太鼓の合図で出御(祝詞)
一番親方が叩く太鼓の音に合わせて境内に出ると梼務町、神社総代の有志が御獅子を警護して、「オシシじゃ・オシシじゃ」の掛け声とともに第一鳥居へ!鳥居を出たところで
まずは左回りして浜方豊漁・浜方萬歳と大神等の神威をいただき、引き続き右回りして豊作・萬歳と山方へも御神力を仰ぐ伝統の作法を執り行って
再び梼務町、神社総代の有志に守られて参集殿へ!獅子箱に納めて祝詞を奏上し親方衆と共に参拝!最後に元の獅子殿に戻して神事終了!
その後、親方衆と今年の梼務町と来年の梼務町(梼受町)で梼渡しの儀式を済ましてヤーヤ祭りの幕が下りました。
感染症がおさまらない中、伝統保持と無事に祷を渡す事ができた意義深いお祭りでした。
2月1日午前零時の御扉開きから由緒祭と神事をおさめた後、在廻り(1日夜)、ヤーヤの練り(2日~4日の夜)などの氏子が中心に執り行う祭事が取り止めとなったヤーヤ祭り。
いよいよ2月5日(金)は、本祭である神事、例大祭を午前10時より執り行いました。
1番梼務町・北浦町、2番梼務町・新田町の総代、町頭有志と神職、神社総代有志といつもの1/4程が参列する中、
修祓→宮司一拝→開扉と進めて、祝詞奏上!!
次に、地元の中学・高校の生徒による「浦安の舞」が奉仕され,宮司・各梼務町・総代会長の玉串拝礼が執り行われました。
最後に閉扉→宮司一拝を行い、約30~40分程でしたが、今年も厳かに!そして神々しい例大祭となりました!
残念ながら各梼務町の宮上がり(大名行列と道中手踊り)も取り止めですが、午後より親方衆を迎え、祭りのおさめの神事である大弓の儀、御獅子の出御と各祷務町と協力し執り行います。