今年のGW(ゴールデンウィーク)も残すはあと2日となり、青空が広がった5月5日(日)の午前10時、午後1時に端午の節句祭を行いました。
このお祭りは、尾鷲の子ども達をはじめ、全国の子ども達の安全成長と共にその成長に全精力を注ぐ保護者の健康も祈願しております。
今年も例年通り地元のボランティアグループ「のへのへのもへ座」の皆様が中心となって「子ども縁日」も開催して、たくさんのご家族が神社に参拝して下さるため、お祭りも午前午後1回ずつ執行しております。
今回は子どもを連れたたくさんの家族が参列して下さった中、祭典は厳かにこれからの日本を背負っていく子ども達の成長をお導き下さいますよう大神等にお願いしました。
来年も、恒例の「子ども縁日」も開催と共に端午の節句祭を行いたいと思っておりますので、たくさんのご家族の皆様のご来訪をお待ちしております。
コロナ禍の影響がなくなり訪れる人々も帰ってきた5月3日(金)の憲法記念日、午前10時に憲法祈念祭を執行しました。
現在の日本国憲法が施行されてから、70数年の年月が過ぎ、世界の情勢も様々に変化しています。
我が国は、昭和27年のサンフランシスコ講和条約(平和条約)で日本は独立国として主権を回復しました。が、当然の権利である憲法改正を行ったことがありません。
同じ国民として何か有事(天災やテロ)の時に真っ先に先頭で取り組んで下さる自衛隊の存在を違法扱いしたままであることに胸が痛んで止みません。
又、昨今のアジア諸外国との関係を踏まえてもなおさらです。
世界の恒久平和のためにも、ひとり一人真剣に考えなければいけない問題です。
朝から雨がふり、湿度も高くこの季節のは珍しくうっとうしさを感じる5月1日(水)、午前10時より5月月旦祭を執行致しました。
ゴールデンウィークに入り、全国で地震活動が懸念され、そして、深夜バスの追突事故を始め、さまざまな交通事故が起きています。
そこで今回、この雨の中、一緒に参列して下さった氏子崇敬者16名と、今後、大きな災害、事故がおきないように、又、日本人が培ってきた倫理道徳心を古き良き精神(大和心)に正し、導きいただくようにと祈願しました。
これからも皆様とご一緒に日本の弥栄、世界の平和を祈念していきたいと思っておりますので、たくさんのご参列を心からお待ちしております。
良い天気で始まったゴールデンウィークでしたが、朝からいつ雨が降ってもおかしくない空が広がった4月29日(月)、午前10時より昭和祭を執り行いました。
皆様もご存じの通り、今日は大東亜戦争により占領国になってしまい世情厳しくなった昭和の時代に、正に日本の象徴として、又、大きな柱として様々な行事・業務にお尽くし下さり、日本を奇跡の復興に導かれた畏き昭和天皇のお誕生日です。
そして、世界の恒久平和を願い、世界で類を見ないこの萬世一系が絶えること無く今でも続いているのも、昭和天皇のおかげだと感じております。
今回は、その御功績を称えると共に先の大東亜戦争で軍部が国家総動員法に基づき、本土決戦を一億玉砕という無謀な考えを止め、自らの御命を以て停戦、先ずは被災している国民の支援を導かれた昭和天皇の御神威を授かり、未だに治まらない世界の紛争を止めて下さるように祈願致しました。
今年は氏子崇敬者、又、九州から来られた家族の方々がご参列いただきました。
これからもたくさんの氏子崇敬者󠄀の皆様とご一緒に昭和祭を執行したいと思います。
しだれ桜とともに、八重(古代)桜が開き始めたの4月16日に、恒例の尾鷲招魂祭が執行されました!
尾鷲市は昭和29年に旧尾鷲町、須賀利町、九鬼村、北輪内村、南輪内村が合併して誕生し、その際、尾鷲市は各地域の西南の役、日清、日露、そして、先の大東亜戦争で家族のため、国のために二つと無き尊い命を捧げて下さった戦没者、御英霊の御霊を合祀し作成された戦没者芳名簿を作成し、尾鷲神社におさめ、毎年、尾鷲神社と協力して尾鷲市招魂祭を行ってきました。
残念ながら、国内外の諸事情から戦後50年頃に尾鷲市は、招魂祭を取り止めて尾鷲市戦没者追悼式を開催することとなり、尾鷲神社では戦没者芳名簿を神社に残されたままとなったのを偲び、招魂社奉賛会が結成され、奉献された平和の碑にあわせ、招魂社を建立し、その御社内に尾鷲市戦没者芳名簿をおさめ鎮めております。
つまり、この招魂社には、尾鷲市全体の1447柱の御英霊が祀られております。
現在も御霊をお預かりしている以上お祭りを絶やすことはならないと、尾鷲市遺族会の会長・真井紀夫氏と相談しながら、ご遺族の皆様を始め、市長他、御招待者に招魂祭のご案内をしております。
今年は残念ながら雨のため、招魂社前ではなく尾鷲神社拝殿に約35名のご遺族、御招待者の皆様にご参列いただき、午前10時、太鼓の音を合図に祭典が始まりました。
祝詞で現在の日本の繁栄と平和があるのは、御英霊達の何事にも代えることができない御功績のおかげであること!そして、靖国、護国の神となられていつもお守り下さるが故であると感謝申し上げました。
そして、参列者一同、玉串拝礼を行い、皆で唱歌「ふるさと」を歌い祭典をとりおさめました。
式後に宮司、加藤市長、真井遺族会長よりご挨拶があり、それぞれ御英霊の御功績を讃えるとともに世界の恒久平和を願うことを参列者と共感し、その思いを込めて、濵󠄀中副議長の発声のもと、直会の御神酒をいただきました。
最後にお帰りの際、参列者の皆様に招魂社前で菊の献花を行っていただきました。
この戦没者の慰霊顕彰は、宗教などの枠にとらえられず、人間の真心、精神として執り行っていかねばならない事だと、改めて実感した祭典でした。
春を迎えたかと思う程まで気温が上がったかと思えば、早朝より厳しい冬のような寒さとなる気候の中、4月1日(月)、午前9時より月旦祭を執り行いました。
世間では春休みと言うこともあって、たくさんの子ども達も来てくれて総勢24名の氏子崇敬者と共に、小林製薬㈱の紅麹菌による健康被害が速やかにおさまるように祈願しました。
修祓 → 一拝 → 献饌とすすめ、祝詞を奏上し、神德太鼓による太鼓大祓を行いました。
最後に参列者の玉串拝礼!
子ども達にも作法を教えて、全員、神前に玉串を奉り拝礼致しました。
古き良き日本の原風景を感じた月旦祭となりました。
これからもたくさんの皆様のご参列を心からお待ちしております。
今年、和歌山県立博物館で世界遺産登録20周年を記念して「熊野古道」をテーマとした企画展を取り行うこととなりました。
お正月・ヤーヤ祭り・おひなさままつりと令和6年を迎えてから忙しい日々が続いておりましたが、その賑やかさから日常の風景へと3月20日(火)、午前10時より祈年祭を執行しました。
神社の祭典の種類は、大きく小祭式・中祭式・大祭式の三つに分かれています。
その中でも、祈年祭は新嘗祭・例祭(ヤーヤ祭り)と合わせ三大祭と呼ばれ、必ず本殿の御扉を開け執り行う大祭式のお祭りです。
尾鷲では2月に例祭(ヤーヤ祭り)があるため、古くからこの春分の日に祈念祭を執行しており、今年も五穀豊穣、皇室の弥栄、国家安寧、そして、尾鷲市の活性・繁栄を祈っております。
氏子・総代・崇敬者が5名程が参列し見守る中、「ギッ、ギッギー」と神々しく本殿御扉を開き、厳かに祈願祝詞を奏上しました。
大祭式なので、舞姫による「浦安の舞」も奉奏(ほうそう)し、皆で玉串拝礼を執り行いました。
大神等の高き尊き大神徳を頂戴しながら、今年が素晴らしい年であると共に美し国の良き国であり、多く人々の幸福を祈念した一日でした。
朝夕の寒暖差はありますが、日ごとにあたたかくなる気候に春の気配を感じる3月15日(金)に3月月次祭を執り行いました。
今回は現在、議会でも問題となっている政治家の裏金問題をしっかりとなくし、本来しなければならない事(能登半島地震を始め、13年経った東日本大震災の復興)をいち早く行うように祈願しました。
また、尾鷲神社の3月月次祭では各震災などで亡くなった多くの御霊和めと共にこれからの世代にもしっかりと語り伝えていかねばと毎年震災復興を祈念しております。
これからも氏子崇敬者の皆様のご参列、心からお待ちしています!