心地よい涼しい風がただよう秋晴れの9月21日(月)、午前10時より敬老祭を執り行いました。
修祓→一拝→献饌と進め、祝詞では現在の日本の繁栄に尽力して下さったことに対する感謝とこれからも元気でご長寿いただく事を祈念しました。
続いて、玉串拝礼→撤饌→一拝を行い祭典を閉じました。
これからもたくさんの皆様のご参列を心からお待ちしております。
コロナウィルス感染症の影響で、今年は神職と神社総代有志の奉仕により9月1日、事始奉告祭で幕を開いた八幡神社のお祭り!
いよいよ、そのおさめが9月15日に各神事が執り行われました。
まず神事を向かえるにあたり、古くから夜籠の集いがあります。以前は遠洋漁船を始めたくさんの船主が集まり、その役を務めておりました…が現在は遠洋漁船船主、德榮丸様関係の皆様で護り伝えていただいております。
德榮丸、沖中様にコロナウィルス感染症もこともありご相談したところ、今年も快くお受けいただけたので、いつもの様に例祭神事にもご参列いだだきました。
まず午前零時に神職、神社総代有志、そして德榮丸様のご協力いただき御扉開き式󠄀を行いました。深夜の静寂の中で「ぎっ、ぎぎ~~」と御扉が開く音を響かせながら、今年も大神等をお迎え致しました。
続いて午前10時からの例大祭も德榮丸様にご参列いただき、神職と神社総代有志の奉仕により祭典を執り行いました。
修祓→一拝→開扉→神社総代有志と献饌を行い、いよいよ祝詞奏上!
今年も日々の神恩感謝と更なる御守護、御神徳を願い、最後にコロナウィルス感染症の拡大防止と終息を祈念しました。
次に、宮司玉串→参列者玉串→総代会長玉串→神社総代有志との撤饌→閉扉→一拝と進め、三ツ矢、吉川両先生から頂戴した祝電を披露し祭典をおさめました。
今年は氏子町の祭事が中止となりましたが、伝染病がおさまった暁には、再び梼務町、手伝い町と共に賑やかしい八幡神社例大祭を執り行いたいと心から望みます。
八幡神社は、尾鷲神社のすぐ近くにご鎮座しており、氏子町も尾鷲神社20町のうちの15町が合わせ務めております。
昭和50年頃までは神職が常駐していましたが、現在は尾鷲神社宮司が兼務している神社です。
今年は、コロナウィルス感染症の影響により、15町の氏子町の人々が集まって神事・祭事を進めて行くべきか?に対し会議を開き、15町から今年の梼務町であった野地町の意見等をまず聞くことなり、その後の会議でよく考慮して、梼屋を来年に持ち越すこととなりました。
しかし、このような事態だからこそ神事だけは執行し大神等の神威を授からねばと、神事は神職と神社総代有志で行う事と致しました。
この様な経緯を踏まえ、9月1日(火)に本祭を15日に執行するに当たって、八幡神社の事始奉告祭を行いました。
午前10時、神職2名と神社総代有志が本殿前に集合し、今年の状況をご報告しながら祭典を進めました。
15日も午前零時の御扉開き式󠄀、午前10時の例大祭を同じように執り行う予定です。
うだるような暑さが続く夏をむかえ、尾鷲も毎日朝から30℃を超える中、8月15日(土)午前9時、8月月次祭を執り行ないました。
例年だとお盆は帰省や観光客で賑やかになるのですが、今年はコロナウィルス感染症の影響で町中も寂しく参列者もいないと思っていました。
しかし、このような時だからこそ6名の氏子崇敬者󠄀がご参列下さり、その尊きお志と共に、まずは、大神等にコロナウィルス感染症の沈静・終息を祈願しました。
そして、8月15日は一般的には終戦日といわれています。
しかし、この日は正確には日本国が無条件降伏を受け入れて停戦状態になった日で、厳密に言えば連合国の占領政策が終え、日本が独立国として国家主権を回復した昭和27年4月28日(サンフランシスコ講和条約の発効)が本当の終戦日です。
とは言え、日本人にとって、戦争を終結することを知った8月15日、この日を終戦日と感じるのも最もです。
尾鷲神社では8月月次祭に合わせ、現在の日本の繁栄は、先の戦争で国のため、家族のためと戦い、尊き生命を燃やしていった御英霊のおかげである事を忘れてならないと御霊なごめ祭も執行しております。
今年も御霊なごめの祝詞を奏上し、最後に参列者の皆様と共に黙祷を捧げました。
様々な意見があるようですが、この戦没者慰霊顕彰には、政治(外交)や政教分離などは全く関係ありません。そして、決して影響を受けてならないものです。
日本人として、その尊き「こころ(精神)」を見忘れず、来年の御参拝をお待ちしております。
今年はコロナウィルス感染症の拡大防止のため、様々な行事が縮小や中止となりました。
この熊野灘部隊慰霊祭も否応もなく招待者をなくし、同胞者(心を同じとする人達)の有志が集い、長梅雨で雨が降り頻る7月26日(日)午前10時から執行しました。
熊野灘部隊とは、本土の守護と先の大戦(大東亜戦争)時、この尾鷲の土地へ潜水母艦「駒橋」を中心とした遥か関東東北から総勢314名の軍人により組織された海軍の部隊です。
今思えは、遡りし終戦が間近だった昭和20年7月28日の早朝、連合軍の戦闘機の奇襲攻撃に遭い、当時、尾鷲湾に配置されていた「駒橋」他、多くの戦艇が沈められました。
当時、戦況も劣勢だったにもかかわらず熊野灘部隊は国土や尾鷲を守るためと勇敢にも連合軍と戦いました。がしかし・・・空爆は10時間程続き147名の尊き命が犠牲となり、御亡骸の多くはこの尾鷲で眠っております。
この史実を踏まえて、熊野灘部隊慰霊顕彰会のお志から神社境内社の招魂社横に建立された慰霊碑の前で慰霊祭を執行しております。
現在の日本の繁栄があるのは、ご英霊の尊き御霊のおかげです。この戦没者慰霊顕彰祭は、永く言い伝えて執り行っていかねばならぬ祭典です
「日本人の心として」
毎年、天気とにらめっこしながらの奉仕となる境内社の天照大神宮例祭!
今年はコロナウィルス感染症の拡大防止の観点から、神社総代有志と参列希望者のみで執行と致しましたところ、16名の参列者が集い、海の日の7月23日、午前11時から御祭神の天照大神の神威を仰ごうと厳かに執り行われました。
所定のところで修祓式を行い、本殿前に進み宮司1拝!続いて本殿の扉を開けて、常日頃から御守り導き戴いている感謝の気持ちとこれからのご指導などを祈る祝詞を奏上、更にコロナウィルス感染症の終息も願いました。
次に、奉祝として地元の中学生が舞姫を努めて「浦安の舞」を大神に献げて、最後に神職をはじめ、参列者の皆様に玉串拝礼を執り行い祭典を納めました。
来年もたくさんの方の御参拝を心よりお待ちしております。