古くは 御厩舎と呼ばれていた。「続日本記」「常陸国風土記」などからもともと馬の献上は、祈雨止雨などの祈願のため生馬を神々の乗り物として奉納したと記されている。(この馬を神馬と書き、しんめと読む)
しかしながら、高価であることや馬の世話が大変など様々な事象が生じて、神馬の代用として馬像が献上されるようになった。
どの時代においても、馬は輸送、農耕、或いは、軍用として、非常に重宝がられ、特に白馬は聖なる「陽」の使い、除災招福の使いとされていた。
武家社会でも 、白馬は貴重で大切な物として、戦勝祝に献上されておりこの事から白馬イコール勝ち馬という意味を持つようになり、尾鷲神社では必勝の守護神として、白馬像が奉納されている。
御厩舎のはじめは不詳であるが、これは当神社のヤマトタケル命の東征戦勝に伝わる御神力にすがろうと、或る武将が必勝祈願、或いは戦勝御礼で奉納されたのがはじまりと伝えられている。(尾鷲神社の縁起物大宝市参照)
撒銭祈願される白馬
尾鷲でも 江戸時代になると民間信仰が盛んとなり、庶民が白馬像を奉納するようになった。現在の白馬像は先の御遷宮の時に氏子町の堀町から奉納されたものである。
このような歴史背景から、御厩舎を庶民が親しみを込めて、お馬さん、お馬さんと崇拝し、今ではお馬堂と呼ぶようになった。
必勝の守護神として、スポーツなどの試合の勝利や試験の合格を祈り参拝したり、祈祷を受けたりする氏子崇敬者が多く見られる。