最初の 鎮座地(現在の舊宮)の前に大きく聳える大楠は、雄楠が周囲10メートル、雌楠が周囲9メートルにも達しており、樹齢も一千年以上と推定され、昭和12年11月12日に県の天然記念物に指定されている。
別名「夫婦楠」と呼ばれ、雌楠の
実際 、子宝に縁遠かった大勢の氏子崇敬者がその恩恵を受けて、子どもを授かっており、毎日御礼参りが絶えない。
最近では、その御縁起を授かろうと良縁、子授けのパワースポットとして遠方からも訪れている。
尚、大楠の御縁起を頂戴した御守も数種類あり、社務所にて授与して頂ける。
又、同世代の楠が本殿の後ろにある。これも神代楠と呼び、皆に慕われている。氏子の中では大楠に対し、親楠,親楠という方もいる。
この二つの御神木には、神社総代会が主となり綯った大注連縄を6月と12月の年2回、氏子総出で張り替えている。
御霊跡の 浜に流れ付き、氏子達によって尾鷲神社に宝物として納められた獅子頭は、大神等の導きを頂戴し、天下の奇祭と名高いヤーヤ祭りにも伝わる獅子出御の神事の吉凶占いや、悪魔祓いなどの縁起物として信奉され氏子達の崇敬の的となっている。
その古き尊き伝承伝統が氏子20町の中に代々受け継がれていき、現在でも獅子神楽舞・寄せ太鼓などが盛んに行われている。
故に東紀州地方で尾鷲は神楽の故郷と呼ばれている。
獅子頭は 、その材質、容姿から室町末期から桃山期にかけての作と推定されており、その威容胸にせまるものがあり、作風や獅子頭の推定時代から一時期、運慶作と伝えられていたが、証拠等が存在しないため現在では作者不明となっている。
近年までヤーヤ祭りで御出御してきたが、昭和43年3月22日に三重県の有形民俗文化財に指定されたこともあり、現在では尾鷲市出身の彫刻家の村田龍正氏が実物から型をおこし作成した獅子頭のレプリカがその代わりを努めている。(実物は本殿内に神宝として安置)
その縁起から、現在も祈祷などで太鼓を叩きながらおこなう御獅子祓いが伝えられている。
古くは 御厩舎と呼ばれていた。「続日本記」「常陸国風土記」などからもともと馬の献上は、祈雨止雨などの祈願のため生馬を神々の乗り物として奉納したと記されている。(この馬を神馬と書き、しんめと読む)
しかしながら、高価であることや馬の世話が大変など様々な事象が生じて、神馬の代用として馬像が献上されるようになった。
どの時代においても、馬は輸送、農耕、或いは、軍用として、非常に重宝がられ、特に白馬は聖なる「陽」の使い、除災招福の使いとされていた。
武家社会でも 、白馬は貴重で大切な物として、戦勝祝に献上されておりこの事から白馬イコール勝ち馬という意味を持つようになり、尾鷲神社では必勝の守護神として、白馬像が奉納されている。
御厩舎のはじめは不詳であるが、これは当神社のヤマトタケル命の東征戦勝に伝わる御神力にすがろうと、或る武将が必勝祈願、或いは戦勝御礼で奉納されたのがはじまりと伝えられている。(尾鷲神社の縁起物大宝市参照)
撒銭祈願される白馬
尾鷲でも 江戸時代になると民間信仰が盛んとなり、庶民が白馬像を奉納するようになった。現在の白馬像は先の御遷宮の時に氏子町の堀町から奉納されたものである。
このような歴史背景から、御厩舎を庶民が親しみを込めて、お馬さん、お馬さんと崇拝し、今ではお馬堂と呼ぶようになった。
必勝の守護神として、スポーツなどの試合の勝利や試験の合格を祈り参拝したり、祈祷を受けたりする氏子崇敬者が多く見られる。