今年も尾鷲神社例大祭(通称名:ヤーヤ祭り)の5日間が無事に過ぎ、ようやく日常の風景に戻った2月15日(金)に月次祭が執り行われました。
今回は最近のニュースなどで非常に目につく「虐待」、特に年端のいかない幼児・児童に対するケースが後を絶たずに起こっていることについて、氏子崇敬者と一緒に祈願しました。
特に今起こっている問題は、実の親が実の子供に対して「躾(しつけ)」という名において虐待していることです。
戦後、自由主義の影響から個人主義(利己主義ともいえますが・・・)に重点をおく思考が強くなり、更に現在の核家族化・無縁社会が進んでいきました。
しかし、そのために祖父母などから学び得た子育て方法も知らずに悩む若い世代が増えてきていると思われます。
そこで、祭典では、日本人が代々培ってきた古き良き道徳心をもう一度見直して、親として心の成長を促すような御神威を戴けるように祈願しました。
「子供が何事もなく育つなんて勝手に思っているのは人間の業だ」と或る社会教育学の先生がおっしゃておりました。
子供を育てるとは、大変且つ厳しい毎日です。それだからこそ尊き愛すべき行為なのです。心の成長を願って・・・
2月5日の午後、梼務町が大名行列を組み、町中を手伝い町の手踊りを従えて尾鷲神社に宮上がりを行い、全ての氏子町が大神等にご挨拶をすました午後5時頃から夜の神事が始まりました。
まず、親方衆と梼務町で着座の儀(盃の酌み交わし)を行い、梼務町は順番に垢離掻き(海で身を清める)して弓場に集合!
的を取り付けて位置を確認後、宮司が的の前で大弓神事の祝詞を奏上し、午後6時過ぎ、親方衆と梼務町、手伝い町が見守る中、いよいよ大弓の儀の神事が始まりました。
各梼務町の弓射(ゆみゆい)が、ひと立2矢を合計なな立(全部で14本)順々に射っていきました。(さん立以降は二人掛け合いで進めます。)
昔から的の真ん中(星という)を射貫くと、その梼務町は町を挙げて「祝いと祓い」の両方の意味を含み、伊勢神宮をお参りした伝わっておりますが、今年も僅か五㎜ほどずれて星を射ることはできなかった様です。
大弓の儀が終えた午後8時45分頃、最後の神事である御獅子の出御(しゅつぎょ)が行われました。
獅子殿(祝詞)→参集殿から大神をおのせして太鼓の合図で出御(祝詞)
境内に出るとヤーヤ衆が御獅子を警護して、「オシシじゃ・オシシじゃ」の掛け声とともに第一鳥居へ!鳥居を出たところで伝統の神事を行う。
まずは左回りして浜方豊漁・浜方萬歳と大神等の神威をいただき、引き続き右回りして豊作・萬歳と山方へも御神力を仰ぐ。
再びヤーヤ衆に守られて参集殿へ!獅子箱に納めて祝詞を奏上し、親方衆と共に参拝!最後に元の獅子殿に戻して神事終了!
その後、親方衆と今年の梼務町と来年の梼務町(梼受町)で梼渡しの儀式を済まして、長き5日間のヤーヤ祭りの幕が下りました。
2月1日午前零時の御扉開きから由緒祭、在廻り、ヤーヤの練りと4日間、町中を賑やかしたヤーヤ祭り!!
いよいよ2月5日(火)は、本祭である例大祭を午前9時30分より執り行いました。
1番梼務町・林町、2番梼務町・川原町、3番梼務町・坂場町の梼人、役人を始め各招待者、又、町の総代等総勢60名程が参列する中、
修祓→宮司一拝→開扉と進めて、祝詞奏上!!更に神社本庁から幣帛を賜り、その献弊使として三重県神社庁・塚原庁長から祭詞を頂戴しました。
次に、地元の中学・高校の生徒による「浦安の舞」が奉仕され,宮司・庁長以下梼人、招待者の玉串拝礼が執り行われました。
約40~50分程でしたが、今年も厳かに!そして神々しい例大祭でした!
そして、午後からは各梼務町の宮上がり(大名行列と道中手踊り)、大弓の儀、御獅子の出御、梼渡しとクライマックスへ向かいます!
在廻りで祭りの始まりを尾鷲町内に知らせた翌日から、2日から4日までの3日間、夜7時頃から各梼務町の梼屋前が祭事の中心となり、ヤーヤの練りが行われます!
ヤーヤ祭りでは、練りこそ他の神社の宵宮(よいみや)に当たります!
ちなみに尾鷲では、宵宮のことを「よんみゃ」と呼び、毎夜、ヤーヤ衆が梼屋に集まり、「チョウサじゃ」の掛け声と鐘(かね)の合図に合わせて激しくぶつかり練り合います!
これはタイムスリップして戦国時代の戦(いくさ)を表現しています!!
約1時間半ほど(日によっては違いますが・・・)梼屋に来る手伝い町を梼務町が迎え撃って何度も何ども練り合います。
全ての手伝い町を迎えて激しく練り終えたら、将党(梼人、汐撫、弓射)を先頭に練り終えたヤーヤ衆と港まで行く行き、垢離掻(こりか)きを行います。
これは戦(いくさ)で穢れた身体を海に飛び込み清める祓いの儀式と考えられております。
最後に祓い清めた清々しい身体で尾鷲神社を参拝して宵宮をおさめて梼屋に戻ります。
今年はどんな合戦になるのでしょうか?楽しみです!
ヤーヤ祭りがいよいよ始まり、各町が賑々しく活気づいてきた2月3日の早朝、8時に北浦神楽が在祓いに先立ち、清祓いを受けるために尾鷲神社を訪れました。
ヤーヤ祭りでは古き昔(江戸初期)より、たくさんの氏子町が太鼓や神楽を盛んに奉仕しておりました。その中で北浦町と矢浜町のふたつの町は、尾鷲の伝統芸能として、現在も神楽(獅子舞)を伝え奉仕しております。
拝殿前の境内に集合してお祓いを受け、皆で大神等に参拝したから神楽(獅子舞)を奉納!!
その後、今年も古き伝統に習い、在(ざい~氏子町全体・旧尾鷲町)のお祓いに出発しました。
さぁ、この北浦神楽の神楽祓いにあわせ、宵宮(よんみゃ)のヤーヤの練りも更に盛り上がる事でしょう!!
2月1日の尾鷲神社の氏子達は大忙し!
午前零時に御扉開き、午前10時は由緒祭、そして午後7時からは在廻りと神事・祭事が続きます。
この在廻りとは、祭りが始まったことを氏子達に知らせるために氏子町内を行列組んで練り歩く事です。
まず、午後6時30分、梼務町(林町・川原町・坂場町)の梼人、役人(やくど)と氏子達をはじめ、手伝い町(梼務町以外の氏子町)のヤーヤ衆が境内に集まり清祓い式を受けます。
その後、将党(梼人・汐撫・弓射)にヤーヤ衆がつく構成で行列を形成し、第一鳥居を先頭にして1番梼・2番梼・3番梼の順で各行列が並びます。
午後7時、法螺貝と太鼓の音を合図に各町の高張提灯を掲げて練り歩きが始まりました。
5~6㎞の道程、約400人の群衆による在廻り!ヤーヤ衆の「チョウサ・チョウサ」の掛け声が響く中、氏子町の皆さんに祭りの始まり!を約2時間30分ほどかけて練り歩きました。
午前零時の御扉開き式より約10時間後、梼務町の役人と神社総代等が集まり、由緒祭を執行しました!
これは、遡ること350~60年前、尾鷲神社例大祭が現在のヤーヤ祭りの形として確立したいわれをご報告してお祝いする祭りです。
ヤーヤ祭りは、正月を祝う祭りで古くは正月1日~8日の8日間賑わう祭りです。もともと鎌倉時代から執り行われていた神事(大弓の儀や御獅子の出御など)に、大神等の御神力を戴いて大勝利した戦国時代の合戦を後世まで称え伝える祭事(練りや大名行列など)が江戸時代の初期に合わさり確立したといわれています。
明治時代に太陽暦が用いられて2月1日からとなり、又、戦後の改革により5日制になった現在でも、昔と変わることなく神事・祭事が執り行われており、全国でも貴重で珍しい祭りで「天下の奇祭」と呼ばれています。
祭事では、ヤーヤの練りや薙刀振り、神事では大弓の儀や御獅子の出御が見物といわれておりますので、ご参拝をお持ちしております。
いよいよヤーヤ祭り(尾鷲神社例大祭)の始まりです!
今年の梼務町は、1番梼~林町、2番梼~川原町、3番梼~坂場町です。
この梼務町を中心として今日から5日間、氏子町全員でヤーヤ祭りを盛り上げていきます!!
特に梼務町を務めている林町・川原町・坂場町は大切な神事・祭事の主役を担いますので、かなりプレッシャーもかかりますが、大神等の御神威を戴きながら楽しんで大役を務めてもらえたらと思います。
長期予報の3日・4日の天気(雨)が気になりますが、今年も賑わうことを期待しています!
㊟5日間の詳細日程は、尾鷲神社より画像やPDFでお知らせの平成31年ヤーヤ祭り(尾鷲神社例祭)の日程のお知らせをご覧下さい!