昨年、上皇陛下の御譲位の思し召しにより御代替わりをがなされて、今年から天皇誕生日(天長節)が2月23日となりましたので、午前10時より天長祭を執行しました。
天皇陛下はご存じのように国家の平穏、世界平和と国民の幸せを祈る祭りをなさっている尊きお方です。
だからこそ古くから現人神(あらびとがみ)と称えられて、日本にとって、天皇陛下の存在は、とても大切で国風の要(かなめ)なのです。
今回は、元号が令和になって初めての天長祭でしたので、まず第126代目にご即位なさり、萬世一系を守り続け下さった事に感謝し、参列者と一緒にお祝い申し上げました。
最後に、参列者の皆さんと声高らかに国歌「君が代」を斉唱して祭典をおさめました。
日本人として我が国の歴史、伝統をしっかり学び理解し、そして伝えていくこと!
これこそ神社の存在価値であり、又、祭りの意義(祭祀の厳修)することです。
2月5日の午後、梼務町が大名行列を組み、町中を手伝い町の手踊りを従えて尾鷲神社に宮上がりを行い、全ての氏子町が大神等にご挨拶をすました午後5時30分頃から夜の神事が始まりました。
まず、親方衆と梼務町で着座の儀(盃の酌み交わし)を行い、梼務町は順番に垢離掻き(海で身を清める)して弓場に集合!
的を取り付けて位置を確認後、宮司が的の前で大弓神事の祝詞を奏上し、午後7時頃、親方衆と梼務町、手伝い町が見守る中、いよいよ大弓の儀の神事が始まりました。
各梼務町の弓射(ゆみゆい)が、ひと立2矢を合計なな立(全部で14本)順々に射っていきました。(さん立以降は二人掛け合いで進めます。)
昔から的の真ん中(星という)を射貫くと、その梼務町は町を挙げて「祝いと祓い」の両方の意味を含み、伊勢神宮をお参りした伝わっており、今年は1番梼新町の弓射が20数年振りに見事!星を射貫きました!
大弓の儀が終えた午後8時45分頃、最後の神事である御獅子の出御(しゅつぎょ)が行われました。
獅子殿(祝詞)→参集殿から大神をおのせして太鼓の合図で出御(祝詞)
境内に出るとヤーヤ衆が御獅子を警護して、「オシシじゃ・オシシじゃ」の掛け声とともに第一鳥居へ!鳥居を出たところで伝統の神事を行う。
まずは左回りして浜方豊漁・浜方萬歳と大神等の神威をいただき、引き続き右回りして豊作・萬歳と山方へも御神力を仰ぐ。
再びヤーヤ衆に守られて参集殿へ!獅子箱に納めて祝詞を奏上し、親方衆と共に参拝!最後に元の獅子殿に戻して神事終了!
その後、親方衆と今年の梼務町と来年の梼務町(梼受町)で梼渡しの儀式を済まして、長き5日間のヤーヤ祭りの幕が下りました。
残念ながら今後のヤーヤ祭りの護持伝承を重んじ、氏子町と親方衆の協議の上、来年からは2梼務町で実施することになりましたが、来年も変わることなく祭りを厳か、そして、盛大に執り行おうと心に刻んだ5日間でした。
2月1日午前零時の御扉開きから由緒祭、在廻り、ヤーヤの練りと4日間、町中を賑やかしたヤーヤ祭り!!
いよいよ2月5日(水)は、本祭である例大祭を午前9時30分より執り行いました。
1番梼務町・新町、2番梼務町・野地新町、3番梼務町・中井町の梼人、役人を始め各招待者、そして、町の総代等総勢60名程が参列する中、
修祓→宮司一拝→開扉と進めて、祝詞奏上!!更に神社本庁から幣帛を賜り、その献弊使として三重県神社庁・山本副庁長から祭詞を頂戴しました。
次に、地元の中学校の生徒による「浦安の舞」が奉仕され,宮司・副庁長以下梼人、招待者の玉串拝礼が執り行われました。
約40~50分程でしたが、今年も厳かに!そして神々しい例大祭でした!
その後、参集殿において、いつも通り直会がありましたが、今年は尾鷲物産㈱様より例祭に際し、マグロを2尾御奉献下さいましたので刺身にして皆様にお召し上がりいただきました。
さぁ、午後からは各梼務町の宮上がり(大名行列と道中手踊り)、大弓の儀、御獅子の出御、梼渡しとクライマックスへ向かいます!