2月1日午前零時の御扉開きから由緒祭と神事をおさめた後、第6波の影響のため、1日夜の在廻り、2日~4日の夜のヤーヤの練りなどの氏子が中心に執り行う祭事が取り止めとなったヤーヤ祭り。
いよいよ2月5日(土)は、本祭である神事、例大祭を午前10時より執り行いました。
1番梼務町・大曽根町、2番梼務町・堀町の総代、町頭有志と神職、神社総代有志といつもの1/3程が参列する中、
修祓→宮司一拝→開扉と進めて、祝詞奏上!!
次に、地元の高校の生徒による「浦安の舞」が奉仕され,宮司・各梼務町・総代会長の玉串拝礼が執り行われました。
最後に祝電(鈴木先生、吉川先生)をご披露して、宮司一拝(御扉閉扉は後刻奉仕)で例大祭をおさめました。
約30分程でしたが、今年も厳かに!そして神々しい例大祭となりました!
残念ながら各梼務町の宮上がり(大名行列と道中手踊り)も取り止めですが、午後より親方衆を迎え、祭りのおさめの神事である大弓の儀、御獅子の出御と各祷務町と協力し執り行います。
真夜中の御扉開き式より約10時間後、再び梼務町の大曽根町と堀町、又、神社総代有志が集まり由緒祭を執行しました!
これは、遡ること350~60年前、尾鷲神社例大祭が現在のヤーヤ祭りの形として確立したいわれをご報告してお祝いする祭りです。
ヤーヤ祭りは、正月を祝う祭りで古くは正月1日~8日の8日間賑わう祭りです。もともと鎌倉時代から執り行われていた神事(大弓の儀や御獅子の出御など)に、大神等の御神力を戴いて大勝利した戦国時代の合戦を後世まで称え伝える祭事(練りや大名行列など)が江戸時代の初期に合わさり確立したといわれています。
明治時代に太陽暦が用いられて2月1日からとなり、又、戦後の改革により5日制になった現在でも、昔と変わることなく神事・祭事が執り行われていました……が、今年もコロナウィルス感染症のため、昨年に続いて余儀なく祭事が中止となりました。
今後、2日~4日の祭事はお休みして、お祭りの仕上げ!と5日の神事の例大祭に望みます。
昨年同様にコロナウィルス感染症の現状を踏まえ、梼務町、神社総代、神職で慎重に検討を重ねた結果、今年も神事は御鎮座いただいている大神等に感謝申し上げるために執行!!
そして、この祭りの伝承伝統を保持するために大弓の儀・御獅子の出御・祷渡しを執り行う事と致しました。
しかし、第6派オミクロン株の影響もあり、残念ながらヤーヤ祭り(尾鷲神社例大祭)で賑わう氏子が中心となる祭事(練りや大名行列、道中手踊りなど)はソーシャルディスタンス(3密)が保つことや子ども達にも安心に参加できないと判断して取り止める事となりました。
今年の神事・祷渡しの大役を務める祷務町は、1番祷~大曽根町、2番祷~堀町です。(昨年から3番祷は休祷)
この梼務町と協力し、神職、神社総代有志の少数でヤーヤ祭りの神事を厳かに粛々と執り行います。
特に祷務町を務めている大曽根町・堀町は、他の手伝町(今年も不参加)の分まで大切な神事を担いますので、かなりプレッシャーもかかりますが、大神等の御神威を戴きながら楽しんで大役を務めてもらえたらと思います。
㊟5日間の詳細は、尾鷲神社HPより画像やPDFでお知らせの重要!令和4年ヤーヤ祭りのご報告をご覧下さい。
今日は恒例のどんど焼きが行われました!
午前7時過ぎに神事が終わり、神社総代の皆さんの奉仕で氏子崇敬者が持ち寄った注連縄などをビニール、だいだいなど不燃物と分別し、焚上場に運び(といっても火力が強いので投げ込みますが・・・)、焚き上げ行事を11時まで行いました。
又、今年も残念ながらコロナウィルス感染症の拡大防止のため、恒例となっている焼き餅と寒紅梅酒造㈱からご奉納戴いた酒粕で作った甘酒のふるまいは中止と致しました。(マスクを外す機会をなくすため)
「どんどの火」に当たると一年間、無病息災で良い年になる!」と古くから言い伝えられていることもあり、たくさんの氏子崇敬者󠄀が注連飾りを持ってご参拝下さいました!
皆さん!どんどの火に当たり、今年もコロナウィルス感染症を吹き飛ばし、1年無病息災でありますようご祈念申し上げます。
日も昇らずまだ薄暗い1月15日の早朝、今年も無事に新しい年を迎えられたことを感謝申し上げる新年恒例行事となるどんど焼き神事が行われました。
縁起物の祖神(おやがみ)と称えられる尾鷲神社の特大熊手を立て、正月飾りや昨年1年お守り下さった神札、御守を焼く焚上場の前で午前7時過ぎに祭典を執行!
奉仕に集まって下さった神社総代が参列の中、修祓、祝詞奏上、清祓󠄀を行い、最後に宮司、武田総代会長の玉串拝礼で神事をおさめました。
続きは、令和4年!どんど焼き~奉仕~編でご報告致します!