ここ1年コロナウィルス感染症のため、年中行事で行っている〆打ちは、注連縄の状態をみて奉仕するようになっておりました。
がしかし、氏子の皆様からやはり例大祭は新しい注連縄で迎えたいと要望があり、この8月29日に急きょ執り行うこととなりました。
早朝8時頃から神社総代、氏子町の有志が集まり出し、わらや機材を準備し、武田総代会長以下総勢22名が集合する中、8時30分に〆打ち清祓い神事を行いました。
神事終了後、神社総代と有志の皆さんは、わらたたきや注連縄しめ、仕上げなどに分かれて作業を開始!
八幡神社の境内入口にある長さ4メートルの鳥居用など始め、各所に飾る注連縄を大忙しに奉製し掛け直して下さいました。
今年のお祭りも残念ながら、神事のみを梼務町、神社総代有志で行い道中手踊りなどの祭事は中止となりましたが、新しい注連縄の張り廻らした神社で粛々と務め、大神等の神威を氏子町の皆様にお届けする所存です。
暑かったとや思いきや・・・梅雨のような雨が降り続くお盆の迎えて尾鷲も朝から大雨となった8月15日(日󠄀)午前9時、8月月次祭を執り行ないました。
今回の祈願は、まず線状降水帯の影響で全国の至るところで集中雷雨による様々な災害が生じておりましたので、この自然災害からいち早くお守り下さるように祈願しました。
この悪天候でありましたが、氏子の方4名がご参列下さる中、大神等にまずはこれ以上、この線状降水帯から発生する災害から日本全国を大難なく御守り下さるように祈願しました。
そして、決して忘れてならないのが8月15日は一般的には終戦日といわれている事です。
正確には8月15日は日本国が無条件降伏を受け入れて停戦状態になった日で本当の終戦は、昭和27年4月28日、アメリカを始めする連合国が様々な占領政策や戦後処理などを終えて、日本が独立国として国家主権を回復した時です。(サンフランシスコ講和条約の発効)
とは言え、日本人にとって、戦争を終結することを知った8月15日、この日を終戦日と感じるのも最もです。
尾鷲神社では8月月次祭に合わせ、現在の日本の繁栄は、先の戦争で国のため、家族のためと戦い、尊き生命を燃やしていった御英霊のおかげである事を忘れてならないと御霊なごめ祭も執行しております。
今年も御霊なごめの祝詞を奏上し、最後に参列者の皆様と共に黙祷を捧げました。
様々な意見があるようですが、この戦没者慰霊顕彰には、政治(外交)や政教分離などは全く関係ありません。そして、決して影響を受けてならないものです。
日本人として、その尊き「こころ(精神)」を見忘れず、来年の御参拝をお待ちしております。
夏の日照りが厳しい7月25日(日)、午前10時より熊野灘部隊慰霊祭を執り行いました。
熊野灘部隊とは、本土の守護と大東亜戦争の時に、この尾鷲に組織された海軍部隊です。
今より遡りし昭和20年7月28日の早朝、連合軍の戦闘機の奇襲攻撃に遭い、当時、国土や国民、そして尾鷲を守るため、交戦したのが熊野灘部隊でした。
当時、終戦が間近だったため空爆は10時間程続き、戦局もかなり不利だったにもかかわらす、熊野灘部隊は嵐の様に着弾降り注ぐ中でも雄々しく戦い抜きました。がこの空爆で・・・戦死者147名と尊き命が犠牲となりました。
この147名の御英霊は、それぞれ出身地での護国神社にお祀りされております。
しかし、御亡骸のほとんどはこの尾鷲の地に埋葬されていますので、その関係者や尾鷲の有志の人々によって、熊野灘部隊慰霊顕彰会を発足し慰霊祭を執り行っており、そのお志に氏子総代会も賛同し神社に慰霊碑を建立して、毎年、慰霊祭を執行する事となり現在に至っております。
今年も熊野灘部隊の御英霊を始め大神等の御守り導きを頂戴し、予定通り熊野灘部隊慰霊祭を執り行なう事が出来ました。
戦後76年も経て、現在では日本が大東亜戦争でどの国と戦ったことも知らない若者がいるようです。現在の平和があるのは、国のため、家族のため、二つと無き尊い命をかけて下さった御英霊たちのおかげと改めて永く言い伝えていかねばならぬと感じました。
昨今、政教分離や憲法違反などと様々な事をいう人もおりますが、国家国民のために尊き命を燃やして下さった御英霊の慰霊顕彰の祭典は、宗教や政治など関係なく「日本人の心として」たくさんの方々にお参り頂くべきだと思っております。
令和3年7月23日(金)、午前10時に日本で二回目となる夏期オリンピックが開催されること祝し、平和祈念祭を執行しました。
この祭典はもともと昭和39年に東京オリンピック開催された10月10日(体育の日)に行っていましたが、今年からスポーツの日となるこの日に奉仕する事と致しました。
尾鷲神社では、平和の祭典と言われるオリンピックの精神を鑑み、戦争などがなくなり、世界平和が一日でも早く訪れるように祈願しております。
特に今回は、コロナウィルスの影響で開催に対し様々な意見がありましたが、この大会を目指しているアスリートの人たちの気持ちを大切に思い、各国の代表選手が皆ベストを尽くし、その成果として栄えあるメダルを獲得できるように祈願しました。
そして、これからのオリンピックが平和の象徴として、政治状況や経済などの私的理由ではなく、以前のように気候も踏まえ、アスリートたちの身体面も考慮して大会が開催、運営されるように願っております。
今年は早い梅雨明けとなり雨の心配もなく快晴の中、海の日の7月22日(木)、午前11時に境内社の天照大神宮例祭を執り行いました。
昨年はコロナウィルスの影響で、参列者の数を絞りましたが、今年は感染症対策をとりながら参列希望を募ったところ、神社総代を始め総勢22名の参列者が集まり、御祭神の天照大神の神威を仰ぎました。
所定のところで修祓式を行い、本殿前に進み宮司1拝!続いて本殿の扉を開けて神前に神饌をお供えして、日々の御守り導きの感謝の気持ちとこれからのご指導などを祈る祝詞を奏上、更にコロナウィルス感染症の終息も願いました。
次に、奉祝として地元の高校生が舞姫を努めて「浦安の舞」を大神に献げて、最後に神職をはじめ、参列者の皆様に玉串拝礼を執り行い祭典を納めました。
来年もたくさんの方の御参拝を心よりお待ちしております。
6月30日(水)の午後4時から夏越の大祓式を執行しました。
昨年はコロナウィルスの影響で大祓式を総代のみ参列で行い、茅輪くぐりは自由参拝と致しましたが、今年はコロナ禍の状況もかなり理解できてきたため、例年通りに執り行いました。
当日は雨が降ったり止んだり!となかなか定まらなかったので、大祓式は屋根のある弓場の下で、茅輪くぐりは傘を差してもくぐれるので通常通り拝殿前の境内に舗設しました。
生憎の雨がたたり約80名程の参加者でした。がもともと昔からの祓えの極意に川、海、滝など水を被る作法があり、この雨も恵みの雨、大神等からの大祓の神威だと感じました。
まず弓場で集まった皆、大祓詞を奏上して各々知らず知らずに犯した罪穢れや願い事をうつした人形をお祓いした後、各自切麻を以て自祓(じばらい)し、大祓式をおさめました。
次に、夏は当神社の主祭神のスサノヲ命の神話から生まれた神事である茅輪くぐりを執り行います。
*詳細は、ホームページ「夏越の大祓 茅輪神事」をご参照下さい。
♪♪ みな月の なごしの祓するひとは 千年(ちとせ)の
命のぶといふなり (2回) 蘇民将来(そみんしょうらい)×4回 ♪♪
の唱え言葉を歌いながら、宮司、神職、参加者の順に列を作って茅輪(ちのわ)を8の字を描くように3回くぐり、古式の則って行いました。
なお、今年も茅輪は約1週間(枯れる)まで設置しておきますので、ご自由におくぐり下さい!
来年も6月30日、午後4時に夏越の大祓式を執行致しますので、たくさんのご参加をお待ちしております!
神社(惟神=カンナガラの道)では、6月30日(夏越)と12月31日(年越)の年に2回、大祓式を執り行います。
これは、人間は生活(命をつなぐ)していると、罪・けがれを知らず知らずに犯してしまっており、この罪・けがれを自ら人形代にうつしてお祓いを行い、川に流してしまうという宮中行事が、明治以後、このような古事伝承の神事を全国の氏神神社でも執行し、氏子崇敬者に半年に1回、大神の御神威を授かりお祓いし、新しく生まれ変わったが如く清々しい心(精神)で日々生活していこうと取り進めてきました。
特に夏越の大祓(6月30日)では、当神社の主祭神であるスサノヲ命の古事(蘇民将来と巨旦将来)で伝わる茅輪神事(くぐりとも云う)も執り行われます。
*詳細は、ホームページ「夏越の大祓 茅輪神事」をご参照下さい。
疫病退散と今年も拝殿前に人形代のご用意を致しましたので、より多くの皆様がお祓いをお受け下さいますようご案内申し上げます。
又、今年から「ペットは家族の一員」とのお声を多くからいただいたので、ペットの紙型代もご用意致しました。
なお、今年の夏越の大祓(6月30日)式は、通常通り午後4時から執り行います!
マスク着用となりますが、たくさんの皆様のご参拝を心からお持ちしております。