早朝、久しぶりに厳しい寒さとなった3月1日(日)、午前9時より3月月旦祭を執り行いました。
先の2月の月次祭でもクルーズ船や亡くなった方もいらしたので、一度祈願をしておりましたが、その後の状況と今回、日本政府より感染症拡大防止に対する基本方針が発表(全国の小学校、中学校、高校等の休校など)されたので、今一度、大神等の御神威を仰ごうと改めて祝詞を作成し祈願しました。
12名の氏子崇敬者󠄀が参列する中、茅輪神事に伝わるスサノヲ命の疫病除けの御神威発揚を願う祝詞を奏上!
次に祓󠄀太鼓で名高き神德太鼓により太鼓大祓を斎行し、最後はひとり一人玉串を奉り祈願しました。
全世界がいち早く元の状態に戻る事を心より祈念致します。
昨年、上皇陛下の御譲位の思し召しにより御代替わりをがなされて、今年から天皇誕生日(天長節)が2月23日となりましたので、午前10時より天長祭を執行しました。
天皇陛下はご存じのように国家の平穏、世界平和と国民の幸せを祈る祭りをなさっている尊きお方です。
だからこそ古くから現人神(あらびとがみ)と称えられて、日本にとって、天皇陛下の存在は、とても大切で国風の要(かなめ)なのです。
今回は、元号が令和になって初めての天長祭でしたので、まず第126代目にご即位なさり、萬世一系を守り続け下さった事に感謝し、参列者と一緒にお祝い申し上げました。
最後に、参列者の皆さんと声高らかに国歌「君が代」を斉唱して祭典をおさめました。
日本人として我が国の歴史、伝統をしっかり学び理解し、そして伝えていくこと!
これこそ神社の存在価値であり、又、祭りの意義(祭祀の厳修)することです。
2月5日の午後、梼務町が大名行列を組み、町中を手伝い町の手踊りを従えて尾鷲神社に宮上がりを行い、全ての氏子町が大神等にご挨拶をすました午後5時30分頃から夜の神事が始まりました。
まず、親方衆と梼務町で着座の儀(盃の酌み交わし)を行い、梼務町は順番に垢離掻き(海で身を清める)して弓場に集合!
的を取り付けて位置を確認後、宮司が的の前で大弓神事の祝詞を奏上し、午後7時頃、親方衆と梼務町、手伝い町が見守る中、いよいよ大弓の儀の神事が始まりました。
各梼務町の弓射(ゆみゆい)が、ひと立2矢を合計なな立(全部で14本)順々に射っていきました。(さん立以降は二人掛け合いで進めます。)
昔から的の真ん中(星という)を射貫くと、その梼務町は町を挙げて「祝いと祓い」の両方の意味を含み、伊勢神宮をお参りした伝わっており、今年は1番梼新町の弓射が20数年振りに見事!星を射貫きました!
大弓の儀が終えた午後8時45分頃、最後の神事である御獅子の出御(しゅつぎょ)が行われました。
獅子殿(祝詞)→参集殿から大神をおのせして太鼓の合図で出御(祝詞)
境内に出るとヤーヤ衆が御獅子を警護して、「オシシじゃ・オシシじゃ」の掛け声とともに第一鳥居へ!鳥居を出たところで伝統の神事を行う。
まずは左回りして浜方豊漁・浜方萬歳と大神等の神威をいただき、引き続き右回りして豊作・萬歳と山方へも御神力を仰ぐ。
再びヤーヤ衆に守られて参集殿へ!獅子箱に納めて祝詞を奏上し、親方衆と共に参拝!最後に元の獅子殿に戻して神事終了!
その後、親方衆と今年の梼務町と来年の梼務町(梼受町)で梼渡しの儀式を済まして、長き5日間のヤーヤ祭りの幕が下りました。
残念ながら今後のヤーヤ祭りの護持伝承を重んじ、氏子町と親方衆の協議の上、来年からは2梼務町で実施することになりましたが、来年も変わることなく祭りを厳か、そして、盛大に執り行おうと心に刻んだ5日間でした。
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