梅雨明けて日々うだるような暑さが続き、朝から30℃を超えた7月15日(日)に月次祭を執り行いました。
今回は、参列された氏子数名と共に、先の西日本豪雨で被災された人々がいち早く安心した生活を取り戻す事や被災された環境の速やかな復興を願いました。
修祓して宮司一拝、そして、祈願祝詞を奏上した後に太鼓を叩きながら、全員で祈りを捧げました。
次に、玉串拝礼を終えて、祭典をおさめる前に被災された方々への御見舞と200名以上の尊き命に対し、参列者全員で黙祷を捧げました。
昔から五風十雨といいますが、改めて自然の力の凄さに驚愕し、そして、日本人が自然崇拝から始まる神観念で様々なものに神様が宿り、更に畏敬の念をもって共生してきたことの意味の深さを感じました。
ここに、西日本豪雨で被災された皆様とお亡くなりになった200名以上の尊き御霊に哀悼の意を表します。
御霊安らかんことを・・・
6月30日の午後4時、恒例の夏越しの大祓式を執行しました。
朝は本降りの雨でしたが、昼を過ぎた頃から梅雨もひと休みと上がってくれたため、拝殿前の境内に祭場を舗設し執行しました。
今年も神職、総代を含め総勢170名程の参加者と共に、大祓詞を奏上して各々知らず知らずに犯した罪穢れや願い事をうつした人形をお祓いした後、各自切麻を以て自祓(じばらい)し、まずは大祓式をおさめました。
次に、夏は当神社の主祭神のスサノヲ命の神話から生まれた神事である茅輪くぐりを執り行います。
(詳細はHPの尾鷲神社のここがすごくね!?を参照して下さい。)
♪♪ みな月の なごしの祓するひとは 千年(ちとせ)の
命のぶといふなり (2回) 蘇民将来(そみんしょうらい)×4回 ♪♪
の唱え言葉を歌いながら、宮司、舞姫(人形持ち)、神職、参加者の順に列を作って茅輪(ちのわ)を8の字を描くように3回くぐり、古式の則って行いました。
3回目をくぐる頃から雨が降り出して少しだけ濡れましたが、これも昔からの祓えの極意に川、海、滝など水を被る作法があるように、大神等からの大祓の神威だと感じました。
参加した皆様に「来年も6月30日、午後4時となりますので、たくさんのご参加をお待ちしております!」と挨拶をして今年の大祓式をおさめました。
なお、茅輪は4~5日の間、設置してありますので、この機会にどうぞくぐりにご参拝下さい!
梅雨のひと休みとなった青空が見えた6月24日(日)の午前中に、新しい注連縄を作る〆打ちが執り行われました。
尾鷲神社では、古き昔から神社の各所を守る注連縄は、神社総代会と氏子有志の清きご奉仕によって奉製して下さっています。
この6月〆打ちは、年始めから神社をお守り戴いている大楠(夫婦楠)と祖楠(おやくす~本殿裏の楠)、鳥居などの大きな注連縄が半年間の雨日照りで痛んでくるため、新しく張り替えるものを作成しております。
早朝8時頃から神社総代、有志が集まり出し、わらや機材を準備し、武田総代会長以下総勢18名が参列する中、8時30分に〆打ち清祓い神事を行いました。
神事終了後、神社総代と有志の皆さんは、わらたたきや注連縄しめ、仕上げなどに分かれて作業を開始!
約18メートルもある大楠(夫婦楠)用を始め、10メートルの祖楠用、4メートルの鳥居用などと大忙しに奉製して下さいました。
これから新しい年を迎えるまで!新しい注連縄に張り替えて様々なお祭りに執り組んでいきます!
これからもたくさんの御参拝を心からお持ちしております!
神社(惟神=カンナガラの道)では、6月30日(夏越)と12月31日(年越)の年に2回、大祓式を執り行います。
これは、人間は生活(命をつなぐ)していると、罪・けがれを知らず知らずに犯してしまっており、この罪・けがれを自ら人形代にうつしてお祓いを行い、川に流してしまうという宮中などで古くから行われていた神事です。
明治以後、このような古事伝承の神事を全国の氏神神社でも執行し、氏子崇敬者に半年に1回、大神の御神威を授かりお祓いし、新しく生まれ変わったが如く清々しい心(精神)で日々生活していこうと取り進めてきました。
先の大東亜戦争後、徐々に執り行う神社が減少しましたが、尾鷲神社では古くから日本に護持伝承されているこの素晴らしい神事を守っていこうとの思いで行っております。
特に夏越の大祓(6月30日)では、当神社の主祭神であるスサノヲ命の古事(蘇民将来と巨旦将来)で伝わる茅輪神事(くぐりとも云う)も執り行われます。
*詳細は、ホームページ「夏越の大祓 茅輪神事」をご参照下さい。
今年も拝殿前に人形代のご用意を致しました。
夏越の大祓(6月30日)式は、午後4時からです!多くの皆様のご参拝を心からお持ちしております。
うっとうしい気候が多くなり、梅雨入りも間近に感じる6月1日、うそのような五月晴れの中、6月月旦祭を執行致しました。
毎年5月は、前半はゴールデンウィーク、子ども縁日など、後半は地鎮祭、地域活性の会議などと非日常的な1ヶ月を過ごしています。
そして、この月旦祭から通常の、いつもの神社の景色に戻って、再び御神威の発揚のため、祭祀の厳修に務めております。
今回は、スポーツの心(道)の乱れ、少女殺害を始め理不尽な事件などが起きる原因は、日本人が培ってきた倫理道徳心の欠如喪失であろうと感じ、これらを古き良き精神(大和心)に正し導きいただくようにと祈願しました。
又、一緒に祈願参列した氏子崇敬者の数は17名で、これは10年程前から自由参列として祭典をするようになってからの最多の人数でした。
これからも皆様とご一緒に日本の弥栄、世界の平和を祈念していきたいと思っておりますので、たくさんのご参列を心からお待ちしております。
春の陽射しが心地よく青々と晴れ上がった5月4日、「子ども縁日」を開催しました。
この「子ども縁日」は地域の子ども達をはじめ、全国の子ども達がスクスクと大きく成長を願うことと保護者の皆様の健康を祈る端午の節句祭に因んで執り行なっております。
これは、今まで端午の節句祭に子ども達が参列する機会が少なかったため、たくさんの子ども達の参加を願うと共に、ゴールデンウィークに尾鷲市の地域活性と本来の主役である子ども達に神社参拝の促進を目指して、一昨年から地域の有志の皆さんに協力をお願いし開催しております。
「子ども縁日」に集まってきた子ども達の中、希望者約60名(保護者も含む)に午前10時から太鼓や鈴のお祓いと共に成長安全祈願の祈祷を行いました。
その後は境内で開いているヨーヨー釣りや輪投げ、くじ引きや宝釣り、また、参集殿では体験コーナーとしてぬり絵(無料)などと、大人も子どもも楽しめる催しがズラリと並んでいました。
また、気温もそこそこ暑くなったこともあり、かき氷コーナーでは長い列ができたようです。なお、他県からも神社参拝に来て「子ども縁日」を楽しんだと感想も頂きました。
年々お越し下さる方々が増えていっており、午前中だけで約1000人強の来社で賑わった「子ども縁日」!結局、閉会の15時まで人並みが途切れず、終日、子どもの声が飛び交っていました。
まさに古き良き日本の原風景を感じる1日でした。
来年もたくさんの皆様の来場をお待ちしております。
早朝から心地よく春を通り越して夏のような陽気に木々の新緑が一段と美しく色づいた4月29日、午前10時より昭和祭を執り行いました。
この日は、昭和天皇のお誕生日です。
世界での中でも萬世一系を守り続けているのは日本だけであり、特に世情厳しくなった昭和の時代に、正に日本の象徴として、又、大きな柱として様々な行事・業務にお尽くし下さった大功績を称えました。
今上陛下のお気持ちを尊重し御譲位まであと1年となりました。
現在、皇室典範改正や2重権力にならないよう今の天長節(12月23日)を平日に戻すなど様々な意見があるようようですが、どうか言葉遊びのようなことにならないように今まで伝統を重んじ、そして、陛下のお気持ちにそうように御譲位が行われるように!そして、世界に類を見ないこの萬世一系をお守りしなければと切に願っております。
しだれ桜が咲き乱れ、八重(古代)桜が満開の4月16日に、恒例の尾鷲招魂祭が執行されました!
尾鷲神社では、西南の役、日清、日露、そして、先の大東亜戦争で家族のため、国のために二つと無き尊い命を捧げて下さった戦没者、御英霊の御霊を合祀し、境内社として御鎮座されています。
昭和29年に旧尾鷲町、須賀利町、九鬼村、北輪内村、南輪内村が合併し、尾鷲市が誕生したことから、尾鷲市の戦没者として各地域の戦没者まとめて合祀した戦没者芳名簿が作られました。
この招魂社には、この尾鷲市戦没者芳名簿を鎮めて、尾鷲市全体の1447柱の御英霊が祀られております。
毎年、尾鷲市遺族会の連合会長をお務めいただいている真井紀夫氏と相談し、ご遺族の皆様を始め、市長他、御招待者にご案内しております。
今年も約55名のご遺族、御招待者の皆様にご参列いただき、午前10時、太鼓の音を合図に祭典が始まりました。
修祓(お祓い)、一拝、献饌と粛々と進み、宮司が祝詞で現在の日本の繁栄と平和があるのは、御英霊の皆様の何事にも代えることができない御功績のおかげであること!そして、靖国、護国の神となられていつもお守り下さるが故であると感謝申し上げました。
そして、御英霊の御霊慰めと参列者一同で心からの黙祷を捧げた後、玉串、キクの順にそれぞれ拝礼と献花を行いました。
最後に「ふるさと」を歌い祭典をとりおさめました。
式後に宮司、市長(代読)、真井連合会長より、それぞれ挨拶がありました。 皆、共通して御英霊の御功績を讃えるとともに世界の恒久平和を願うこと!特に遺族会の真井連合会長から孫の世代になる尾鷲市新世代の会の会長、副会長のご紹介もあり、この招魂祭を風化させず次の世代に語り継いていく事が大切と話していました。
この戦没者の慰霊顕彰は、宗教などの枠にとらえられず、人間の真心、精神として執り行っていかねばならない事だと、改めて実感した祭典でした。
神社の祭典の種類は、大きく小祭式・中祭式・大祭式の三つに分かれています。
その中でも、祈年祭・新嘗祭・例祭(ヤーヤ祭り)は三大祭と呼ばれ、必ず本殿の御扉を開け執り行う大きなお祭りです。
今年も五穀豊穣、皇室の弥栄、国家安寧、そして、尾鷲市の活性・繁栄を祈り、厳かに祈年祭を執行しました。
武田総代会長をはじめ、氏子・総代・崇敬者が約20名が参列し見守る中、「ギッ、ギッギー」と神々しく本殿御扉を開き、祈願祝詞を奏上しました。
大祭式なので、舞姫による「浦安の舞」も奉奏(ほうそう)し、皆で玉串拝礼を執り行いました。
大神等の高き尊き大神徳を頂戴しながら、今年1年間、美し国の良き国と多くの幸福を祈願した一日でした。
日ごとにあたたかくなり、春の訪れを感じさせる3月15日に月次祭を執り行いました。
今回は、参列された氏子数名と共に、毎日、テレビや新聞を騒がしている官僚と政治の乱れを正しく導き下さいますように祈願しました。
森友学園問題で誰が首謀者?など与野党で激しく討議されるのも結構ですが・・・現在の日本を取り巻くアジア諸国(中国、北朝鮮など)、ロシアなどとの安全保障、領土などの外交問題、少子高齢化に起因する医療・介護や年金・格差などの経済面、これからの日本を背負って立つ子ども達のいじめなどを主とする教育問題と、話し合いしっかりと方向づけてもらわなければならない事項が山積です!
それから決して忘れてはならない7年前の東日本大震災。未だに仮設住宅で生活する被災者がいると聞き、当時の義捐金を始め、現在では復興特別所得税により財源が確保されているので速やかに支援を行えるように祈願しました。
一人ひとりが清き明き誠の心で神の御意のまにまに勤しむことが大切だと感じた月次祭でした。
これからも氏子崇敬者の皆様のご参列、心からお待ちしています!