心地よい涼しい風がただよう秋晴れの9月16日(月)、午前10時より敬老祭を執り行いました。
普段なら数名の氏子崇敬者が参列される中で執り行われる事が多かったのですが、今回は一人も参列者がおりませんでした。
定刻通りに午前10時に執行!祭員を務める神職も授与所を訪れる氏子や参拝者のお相手をさせていただいたため、宮司による一人奉仕で行いました。
修祓→一拝→献饌と進め、祝詞では現在の日本の繁栄に尽力して下さったことに対する感謝とこれからも元気でご長寿いただく事を祈念しました。
続いて、玉串拝礼→撤饌→一拝を行い祭典を閉じました。
これからもたくさんの皆様のご参列を心からお待ちしております。
9月1日に事始奉告祭で始まった八幡神社の本祭(例大祭)が執り行われました。
今年は9月15日が日曜日であったため、昔を懐かしむか如く1日で神事・祭事を執り行いました。
まず午前零時に梼人、梼務町、招待者、神社総代、手伝い町の氏子達が集まり、神々しさを感じさせる静寂の中で御扉開きを行いました。
続いて午前10時からの例大祭(神事)では、子どもによる「浦安の舞」も奉仕され、日々の神恩感謝と更なる御守護、御神徳を祈念しました。
そして、清々しい秋晴れの中、午後13時より祭事がスタート!氏子達が中心となって奉仕する「大名行列と道中手踊り」が行われました。
梼受町(来年の梼務町)野地町の尾鷲節の披露、梼務町の大名行列に続き、各氏子町(手伝い町)の道中手踊りの順で、まずは町中(旧熊野街道)を練り歩きます。
充分に町中を賑やかした後、最後に八幡神社境内に上がり、大神等に梼務町を始め、各町手踊りを奉納して祭事を納めました。
お祭りの納めとして、梼渡しの儀式が行われました。
神社総代が親方(見届け人)を務め、今年の梼務町の今町から来年の梼務町(梼受町)の野地町の間で杯を酌み交わし、代々梼務町に受け渡されていく八幡神社の掛軸を引き継ぎました。
そして、無事に梼務を務め上げた今町への労いと、来年、梼を務める野地町の光明を願って、最後に皆で柏手を打ち全てを閉じました!
来年も良き祭りなるように神明奉仕に尽くしていきたいと思っております。
夏日と雨降りを繰り返し,今年も残暑が厳しいと感じる9月1日(日)、午前9時に9月月旦祭を執り行いました。
今回も13名の氏子崇敬者が一緒に参列して下さいました。
最近の報道(ニュース)を見ていると「あおり運転」をはじめ、「ゴミ屋敷」や「動物への勝手な餌やり」などいった対人関係などを中心とした問題が多く発生しております。(「幼児虐待」などもってのほかです)
しかし、このような問題は、以前は教えられていた教育「修身」や徳育教育の欠如から起こるものだと感じて、元来、日本人が培ってきた道徳心を取り戻すように祈願しました。
たたく神德太鼓の音色の如く、一人ひとりにその思いが清み響くことを心からお祈り致します。
ゲリラ豪雨などで騒がしく過ごしてきた今年ですが、残暑もひと休みの如く、さわやかな秋風がそよいだ9月1日(日)に本祭を15日に執行するに当たって、八幡神社の事始奉告祭と梼屋開き式を行いました。
この八幡神社は、尾鷲神社のすぐ近くにご鎮座しており、氏子町も尾鷲神社20町のうちの15町が合わせ務めております。
昭和50年頃までは神職が常駐していましたが、現在は尾鷲神社宮司が兼務している神社です。
先ずは、梼務町の梼人等と神社総代が集合し、神社で午前10時から事始奉告祭を行い、本祭(神事・祭事)が厳かで盛大、そして、何事もなく執り行われるように祈願しました。
そして、午後から梼務町に出向いて梼屋を祓って祈祷を行います。
今年の梼務町は今町ですので、その町内にある梼屋に梼人・役人を始め町民等が集まり、今町の繁栄と本祭まで氏子町の代表としてお祭が無事に行えるように梼務町の役目を務められる事を祈念しました。
今日から本祭まで!尾鷲の町はお祭りの準備で忙しくなります!
尾鷲神社では、地域の活性と氏子達のご多幸を祈念して干支大絵馬を作成し、新年、境内に飾っております。
その作成を13年前より、氏神神社の文化伝統の伝承・継承と町おこし、更に青少年育成活動のひとつとして、尾鷲高校美術部と書道部に協力を願って、恒例行事として神社側が選んだ干支絵馬のデザインを大きな絵馬板に写し描いてきました。
そして、その行事も干支をひと回りしたこともあり、今年からは子ども達の更なる啓発活動として取り組もうと、デザインから生徒達に作成してもらう事となりました。
つまり、尾鷲高校美術部・書道部の子ども達が考えた干支絵馬のデザインが来年、神社を飾る干支大絵馬に、並んで初詣などで訪れる参拝者の授与する干支絵馬になるという事です。
正に尾鷲のならではで、ここにしかない!オリジナル干支絵馬となるわけです。
今日(8/29)は、その干支絵馬デザイン発表会を神社で行いました。
報道関係社の集まる中、生徒達より来年の干支絵馬(子~ねずみ)のデザイン画が発表され、記者達の質問に「尾鷲らしさを出すため、背景にツバキを書いたり、ねずみたちの法被には御神紋を描いたりした。」とか「主に行書体を参考にしたが、尾鷲ならではと躍動感溢れるものをと自分達なりにアレンジした字を書いた。」など様々な感想が聞かれました。
最後にデザイン画を囲んで写真を撮り、発表会をおさめました。
この干支大絵馬と今まで作成してきた大絵馬12枚が、新年、神社境内を彩ってくれるのが今から待ち遠しい限りです。
2日ほど前から西日本全体が暴風圏に入る大型の台風10号の影響を受け、尾鷲も朝から暴風雨が降る8月15日(木)午前9時、8月月次祭を執り行ないました。
今日の天候では参拝者はいないと思っていましたところ、氏子の方が2名ご参列下さりました。
そのお気持ちに感謝しながら、大神等にまずは台風10号によりこの尾鷲を始め、日本全国を大難なく御守り下さるように祈願しました。
そして、8月15日は一般的には終戦日といわれています。しかし、正確には日本国が無条件降伏を受け入れて停戦状態になった日です。
そして、厳密に言えば、本当の終戦は、昭和27年4月28日、アメリカを始めする連合国が様々な占領政策や戦後処理などを終えて、日本が独立国として国家主権を回復した時です。(サンフランシスコ講和条約の発効)
とは言え、日本人にとって、戦争を終結することを知った8月15日、この日を終戦日と感じるのも最もです。
尾鷲神社では8月月次祭に合わせ、現在の日本の繁栄は、先の戦争で国のため、家族のためと戦い、尊き生命を燃やしていった御英霊のおかげである事を忘れてならないと御霊なごめ祭も執行しております。
今年も御霊なごめの祝詞を奏上し、最後に参列者の皆様と共に黙祷を捧げました。
様々な意見があるようですが、この戦没者慰霊顕彰には、政治(外交)や政教分離などは全く関係ありません。そして、決して影響を受けてならないものです。
日本人として、その尊き「こころ(精神)」を見忘れず、来年の御参拝をお待ちしております。
6月17日に両面の皮張替の修理を三浦太鼓店様にお願いした鎮めの大太鼓(直径約150㎝)!
搬出してから約1ヶ月半経過した8月9日(金)に愛知県豊橋市で出張したこともあり、大太鼓の修理状況を見させていただきました。
まずは連絡をと思い、2、3日前にお電話を差し上げたところ、夏祭りなどでお忙しくなかなか着手できなかったそうでした。
しかし、丁度、8月9日に皮剥を行い修理を進める事になっているとのお話しでしたので、皮剥に立ち会う事と致しました。
こちらの都合で午後3時過ぎに三浦太鼓店様を訪ねて、皮剥を取り行いました。
太鼓の胴の内側には平成6年阿部太鼓店様、昭和8年杉本太鼓屋様、それと解読出来なかったものがひとつ、太鼓修理の記録が記してありました。
貴重なものを拝見させてもらったと同時に三浦太鼓店様からも誠心誠意を尽くして修理して下さると心強いお言葉もいただきました。
三浦太鼓店様により新しく生命を入れて戴く大太鼓!その奏でる音色が楽しみです!
尾鷲神社の御神木等の注連縄は、神社総代の皆さんが協力し〆打ち(注連縄作り)したものを6月下旬と年末の年2回、皆で張り替えるのが例しとなっております。
今年は梅雨の長雨の影響で注連縄作り(〆打ち)が一度、張替は二度延期となっておりましたが、ようやく梅雨明けとなった7月28日(日)の午後13時00分から執り行いました。
大楠の前に神饌と作りたての大注連縄も並べて、武田総代会長、他、氏子総代が集まり、まずは大楠注連縄掛神事を執行!
神社総代が日々の感謝を込めて〆打ち奉仕したことや、注連縄掛が過ちなく無事に終えることを祝詞で祈願し、大楠と作った注連縄の清祓いを行い、いよいよ張替です。
要所に脚立などを立て掛けて、古い注連縄を外して新しいものに締め替えます。
手分けして大注連縄に紙垂を付けると、まずは、大楠へ!
約18mの大注連縄1本で雄楠と雌楠を繋ぎ締め替えました。仕上げに霊験あらたかな大楠のコブに注連縄、紙垂を整えました。
次に鳥居注連縄を2本張り替えたら、いよいよ最後に本殿後にある祖(おや)楠~別名:神代楠の張替です。
氏子の皆さんも普段は立ち入る事が出来ない神域のため、厳かに全員で作業にあたり、見事に締め替える事が出来ました。
新しい注連縄を纏った大楠!平和の夫婦楠とこれからも氏子崇敬者に御神力を分け授け下さることでしょう!
ようやく梅雨明けとなり、今年も厳しい夏の陽射しが降り注いだ7月28日(日)午前10時、熊野灘部隊慰霊祭が執り行われました。
熊野灘部隊とは、本土の守護と先の大戦(大東亜戦争)時、この尾鷲の土地へ潜水母艦「駒橋」を中心とした遥か関東東北から総勢314名の軍人により組織された海軍の部隊です。
今思えは、遡りし終戦が間近だった昭和20年7月28日の早朝、連合軍の戦闘機の奇襲攻撃に遭い、当時、尾鷲湾に配置されていた「駒橋」他、多くの戦艇が沈められました。
この時、国土や尾鷲を守るため、勇敢にも連合軍と交戦したのが熊野灘部隊で当時、戦局もかなり不利だったにもかかわらす、部隊は嵐の様に着弾降り注ぐ中雄々しく戦い抜きました。
がしかし・・・空爆は10時間程続き、147名の尊き命が犠牲となりました。
この147名のご英霊は、それぞれ出身地での護国神社にお祀りされているでしょうが、御亡骸の多くはこの尾鷲にあります。
この史実を踏まえて、熊野灘部隊慰霊顕彰会のお志から神社境内社の招魂社横に建立された慰霊碑の前で、毎年たくさんの招待者が参列する中で、慰霊祭を執行しております。
近隣諸国や国内でも様々な意見がありますが、現在の日本の繁栄があるのは、ご英霊の尊き御霊のおかげです。この戦没者慰霊顕彰祭は、永く言い伝えて執り行っていかねばならぬ祭典です
「日本人の心として」
毎年、天気とにらめっこしながらの奉仕となる境内社の天照大神宮!
今年は毎日飽きる程の雨が続いておりましたが、御祭神の天照大神の神威のおかげで、雨にも悩まされずに海の日の7月15日、午前11時に予定通り本殿前で厳かに執り行われました。
参列者は総代会長をはじめ総代14名、他氏子3名の合計17名が見守る中、本殿の扉を開けて、常日頃から御守り導き戴いている感謝の気持ちとこれからのご指導などを祈る祝詞を奏上、その後、奉祝として二人の舞姫による「浦安の舞」の奉納が行われました。
最後に、神職をはじめ、参列者の皆様に玉串拝礼を執り行い祭典を納めました。
来年もたくさんの方の御参拝を心よりお待ちしております。
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