平成16年に世界遺産に指定された熊野古道! 昔より「伊勢に7度、熊野に3度 どちらかけても片参り」と俗謡に言われているように、古くから伊勢参り・熊野詣の旅人たちに親しまれてきました。
尾鷲は、その熊野古道・伊勢路で、熊野と伊勢のちょうど真ん中にあたります。
昔から此の参詣道を通り、熊野、伊勢に訪れる人が旅時安全を祈願しお参りしたのが、尾鷲神社だと言われており、熊野と伊勢の神々をつなぐ神「熊野古道・伊勢路のへそ」と尾鷲神社のことを称してきたそうです。
皇學館中学校様では、その地域の歴史や文化に触れて、日本の伝統文化の伝承継続などに対する知識を深めることを目的に熊野古道・馬越峠越えの体験学習を実施されているそうです。
そして、昔からの伝統伝承の体験から、無事峠越えを行えたことの御礼として、尾鷲神社で正式参拝を執り行いました。
総勢110名程の子ども達が熱心に太鼓や鈴のお祓いを受けて、大神等にお参りする姿には、古き良き日本の風情を感じられました。
明日からゴールデンウィークを迎えます!「心、地域のよりどころ」である神社に子ども達をはじめ、大勢の皆様のご参列をお待ちしております。
しだれ桜が咲き乱れ、八重(古代)桜が満開の4月16日に、恒例の尾鷲招魂祭が執行されました!
尾鷲神社では、西南の役、日清、日露、そして、先の大東亜戦争で家族のため、国のために二つと無き尊い命を捧げて下さった戦没者、御英霊の御霊を合祀し、境内社として御鎮座されています。
昭和29年に旧尾鷲町、須賀利町、九鬼村、北輪内村、南輪内村が合併し、尾鷲市が誕生したことから、尾鷲市の戦没者として各地域の戦没者まとめて合祀した戦没者芳名簿が作られました。
この招魂社には、この尾鷲市戦没者芳名簿を鎮めて、尾鷲市全体の1447柱の御英霊が祀られております。
毎年、尾鷲市遺族会の連合会長をお務めいただいている真井紀夫氏と相談し、ご遺族の皆様を始め、市長他、御招待者にご案内しております。
今年も約55名のご遺族、御招待者の皆様にご参列いただき、午前10時、太鼓の音を合図に祭典が始まりました。
修祓(お祓い)、一拝、献饌と粛々と進み、宮司が祝詞で現在の日本の繁栄と平和があるのは、御英霊の皆様の何事にも代えることができない御功績のおかげであること!そして、靖国、護国の神となられていつもお守り下さるが故であると感謝申し上げました。
そして、御英霊の御霊慰めと参列者一同で心からの黙祷を捧げた後、玉串、キクの順にそれぞれ拝礼と献花を行いました。
最後に「ふるさと」を歌い祭典をとりおさめました。
式後に宮司、市長(代読)、真井連合会長より、それぞれ挨拶がありました。 皆、共通して御英霊の御功績を讃えるとともに世界の恒久平和を願うこと!特に遺族会の真井連合会長から孫の世代になる尾鷲市新世代の会の会長、副会長のご紹介もあり、この招魂祭を風化させず次の世代に語り継いていく事が大切と話していました。
この戦没者の慰霊顕彰は、宗教などの枠にとらえられず、人間の真心、精神として執り行っていかねばならない事だと、改めて実感した祭典でした。
昔から神社は、皆様の心のよりどころを担う公の場としての一面があります。
尾鷲神社でも町おこし・地域活性の観点から、今まで「まちの駅コミュニティー活動」を始め、高校生による新年干支大絵馬の作成などと様々な催しを企画したり協力をしてきました。
その催しの一環として、この度、Mt.富士PIZZA様のキッチンカーによる移動店舗が尾鷲神社に出店することになりました。
Mt.富士PIZZA様は、PIZZAという商品を通し、家族の団欒や市民の皆様が和気藹々に楽しんでいただく時間、その時間を地域の中に届けたいというお志から、この移動販売を展開しているそうです。
期間は4月23日~4月29日の7日間!営業時間は午前11時から午後19時(ただし14時から16時はお昼休憩)
土曜日、日曜日のみ宅配サービスあり!(可能な地域が決まってますので宅配できるか?は、注文持に要確認のこと)
よりたくさんの皆様のご来社を心よりお待ちしております!
神社の祭典の種類は、大きく小祭式・中祭式・大祭式の三つに分かれています。
その中でも、祈年祭・新嘗祭・例祭(ヤーヤ祭り)は三大祭と呼ばれ、必ず本殿の御扉を開け執り行う大きなお祭りです。
今年も五穀豊穣、皇室の弥栄、国家安寧、そして、尾鷲市の活性・繁栄を祈り、厳かに祈年祭を執行しました。
武田総代会長をはじめ、氏子・総代・崇敬者が約20名が参列し見守る中、「ギッ、ギッギー」と神々しく本殿御扉を開き、祈願祝詞を奏上しました。
大祭式なので、舞姫による「浦安の舞」も奉奏(ほうそう)し、皆で玉串拝礼を執り行いました。
大神等の高き尊き大神徳を頂戴しながら、今年1年間、美し国の良き国と多くの幸福を祈願した一日でした。
日ごとにあたたかくなり、春の訪れを感じさせる3月15日に月次祭を執り行いました。
今回は、参列された氏子数名と共に、毎日、テレビや新聞を騒がしている官僚と政治の乱れを正しく導き下さいますように祈願しました。
森友学園問題で誰が首謀者?など与野党で激しく討議されるのも結構ですが・・・現在の日本を取り巻くアジア諸国(中国、北朝鮮など)、ロシアなどとの安全保障、領土などの外交問題、少子高齢化に起因する医療・介護や年金・格差などの経済面、これからの日本を背負って立つ子ども達のいじめなどを主とする教育問題と、話し合いしっかりと方向づけてもらわなければならない事項が山積です!
それから決して忘れてはならない7年前の東日本大震災。未だに仮設住宅で生活する被災者がいると聞き、当時の義捐金を始め、現在では復興特別所得税により財源が確保されているので速やかに支援を行えるように祈願しました。
一人ひとりが清き明き誠の心で神の御意のまにまに勤しむことが大切だと感じた月次祭でした。
これからも氏子崇敬者の皆様のご参列、心からお待ちしています!
このお宮の日(3月8日)は、三重県神社庁の教化活動の一環として、平成10年から地域社会への貢献を目指して、県下挙げて各神社が取り組んできました。
尾鷲神社では、当時から人形や結納品を納めたいとの問合せが多々見られたことから、この日を人形供養祭並びに結納品焚上祭として奉仕することにしました。
祭典奉仕し始めてから約20年程の歳月が経ちますが、三重県内でも祭りとして執り行っている神社ははとんどない(寺院はありますが・・・)ようで、現在では、たまに県外からも人形供養に来られる方もおられます。
来られた方々の話を聞くと、長年愛着を持って大切にしてきた人形には、その思いやたましいが宿っているような気がするので、はやり神社でお祓いし供養して納めたいとの事です。
今日も朝8時から受付開始!お宮の日に持ち込む人形などはガラスケースなどのままで納めて良いことになっているため、神社総代の皆様には早朝から集合していただき、人形とケースなど区分けして潔斎場(今年は雨でしたので弓場)に人形を並べてもらうように奉仕を依頼しております。
午前11時に祭典を執行!区分けしてもらった人形、ぬいぐるみ他合わせて300~400体程が集まり、清祓い(性根抜き)をして焚上供養を執り行いました。
ちなみに、この人形供養祭並びに結納品焚上祭は、全国でも祭典として行っている神社は数少ないようです。
尾鷲神社では、氏子・崇敬者からの要望がある限り、お宮の日を続けていく所存です
3月3日、外がすっかり暗くなった午後7時に桃の節句祭を執行しました!
この祭は古くは午前中に執り行っておりましたが、ひとりでも多くの子ども達に参列してもらおうと、ここ10年ほど前から夜7時から始めることと致しました。
参列は自由となっており、今年は保護者を含めて、だいたい40~45人の参列者で賑わいました。
祭典はいつも通り、太鼓・鈴によるお祓!ひとり一人参列者の名前をあげて、子どもの健やかなる成長・育成を願う祝詞を奏上しました。
又、この日は特に女児の成長を祈願する古き伝統を重んじ、斎主も女性の禰宜が務めることとなっております。
祈祷後、まず参列した子ども達にひなあられをプレゼント!おひなさまを飾った参集殿で甘酒、ひなあられなどを食べながら、一時団欒を持ちました。
団欒後、恒例となっております氏子の方の奉仕による紙芝居「古事記」のご披露!第3回目の今年は「天の岩戸とヤマタノオロチ退治」の巻でした。尾鷲弁を交えた紙芝居に親子一緒に楽しめた様子です。
最後に次回の巻「大国主とイナバの白ウサギ」が告知され、おひなさままつりが終わりました!
大神等のますますの御神威を授かりまして、子ども(女児)たちが大楠の如く大きく健やかに成長することを心から御祈念申し上げます。
又、来年、たくさんのご参列をお待ちしております。
1月15日、朝も早くまだ薄暗い午前7時から、今年も無事に新しい年を迎えられたことを感謝申し上げるどんど焼き神事が行われました。
縁起物の祖神(おやがみ)と称えられる尾鷲神社の特大熊手を真ん中に立て、正月飾りや昨年1年お守り下さった神札、御守をまとめた焚上場の前で祭典を執行!その後、神社総代の皆さんの奉仕で焚き上げ行事を11時まで行いました。
又、今年も、恒例となっているお供えした餅の焼き餅とふるまい甘酒のおもてなしがありました。
「どんどの火に当たると一年間、無病息災で良い年になる!」と古くから言い伝えられていることと、その火で焼いた餅も食べると風邪をひかないとも言われているため、火に当たりながら焼き餅、甘酒をいただく方が多く、甘酒共に10時過ぎには、ふるまい終了となる程の盛況でした!
皆さん!どんどの火に当たり、今年1年無病息災でありますようご祈念申し上げます。
元始祭とは、絶えることなく脈々と継承されてきた天皇のお位の根本、神話で天孫降臨により国土を治めるようになった由来を祝うお祭りです。
この尊きお祭りは宮中祭祀のひとつとして、畏くも天皇陛下おんみずからご奉仕されます。
尾鷲神社では、1月3日に元始祭と称して、日本の国の成り立ちに重き要素である皇位継承を祝い、皇室の弥栄と国の隆昌を祈念しております。
又、その祝いのために主祭神の武速須佐之男命の神話、八岐大蛇退治で使われた御神酒の御奉納を遠近の酒蔵様にお願いしたところ、その高き厚きお志から9社の酒造会社様などから化粧樽や御神酒を毎年御奉納戴いております。
今年もたくさんの御神酒に囲まれて、大神等の大神威を蒙りながら皇室の弥栄と国の隆昌を祈ることができ、又、奉献酒蔵様の事業繁栄と伝統護持も同時に祈願致しました。
奉献酒蔵様のご紹介(継承略)☞寒紅梅酒造・尾﨑酒造・河武醸造・伊藤酒造・宮﨑本店・稲垣 酒蔵場・若戎酒造・みんぜん・㈱Yアルコ
*奉献酒蔵様の情報は、神社ゆかりのリンク・サイトをご覧下さい!
尾鷲の縁起物には古い言い伝えがあります。(詳しくはHP~大宝市参照)
ヤマトタケル尊がよく縁起物の神様といわれますが、この東紀州、特に尾鷲ではヤマトタケル尊の功績は、当神社の主祭神、スサノヲ命の御神力を授かったからと称され、尾鷲神社を縁起物の祖(おや、或いはもと)神と呼び、ここから縁起物を授かる様になったそうです。
それぞれの縁起物には、
熊 手~福をかき集める(簑なども同じ)
福 俵~福を溜め留める
破魔矢~福を魔や邪鬼から守る
という縁起があり,昔は全てを合わせ持ち、家や会社の安全、繁栄などを願ったとされています。
写真は2日の午後3時頃、すこし落ち着いた時の大宝市の光景です。
無事、3日間の市を終えて通常の授与所での授受となりましたが、縁起物は15日のどんど焼きまでお受けいただけます。
「残り宝(縁起物)には、大福来たる!」
このような言葉が神社では伝えられております。
つまり、長く残った縁起物(御守なども)には、それだけ多く大神等の神威を受け授かっているという言い伝えです。
残り福をお受けに是非ご参拝下さい。