夏の日照りが厳しい7月24日(日)、午前10時より熊野灘部隊慰霊祭を執り行いました。
熊野灘部隊とは、本土の守護と大東亜戦争の時に、この尾鷲に組織された海軍部隊です。
今より遡りし昭和20年7月28日の早朝、連合軍の戦闘機の奇襲攻撃に遭い、当時、国土や国民、そして尾鷲を守るため、交戦したのが熊野灘部隊でした。
当時、終戦が間近だったため空爆は10時間程続き、戦局もかなり不利だったにもかかわらす、熊野灘部隊は嵐の様に着弾降り注ぐ中でも雄々しく戦い抜きました。がこの空爆で・・・戦死者147名と尊き命が犠牲となりました。
この147名の御英霊は、それぞれ出身地での護国神社にお祀りされております。
しかし、御亡骸のほとんどはこの尾鷲の地に埋葬されていますので、その関係者や尾鷲の有志の人々によって、熊野灘部隊慰霊顕彰会を発足し慰霊祭を墓所にある碑の前で執り行っておりましたが、御英霊として神社にお鎮まりいただこうと慰霊碑を建立して、現在は神社境内で慰霊祭を執行しています。
今年も熊野灘部隊の御英霊を始め大神等の御守り導きを頂戴し、予定通り熊野灘部隊慰霊祭を執り行なう事が出来ました。
戦後77年も経て、現在では日本が大東亜戦争でどの国と戦ったことも知らない若者がいるようです。現在の平和があるのは、国のため、家族のため、二つと無き尊い命をかけて下さった御英霊たちのおかげと改めて永く言い伝えていかねばならぬと感じました。
昨今、政教分離や憲法違反などと様々な事をいう人もおりますが、国家国民のために尊き命を燃やして下さった御英霊の慰霊顕彰の祭典は、宗教や政治など関係なく「日本人の心として」たくさんの方々にお参り頂くべきだと思っております。
武速須佐之男命の姉神を祀る境内社の天照大神宮!
今年は御祭神の天照大神の神威のおかげで、雨に悩まされる事もなく好天にめぐまれ海の日の7月18日、午前11時に予定通り本殿前で厳かに執り行われました。
参列者は総代会長をはじめ総代14名、他氏子9名の合計23名が見守る中、本殿の扉を開けて、常日頃から御守り導き戴いている感謝の気持ちとこれからのご指導などを祈る祝詞を奏上、その後、奉祝として地元の高校生の舞姫による「浦安の舞」の奉納が行われました。
最後に、神職をはじめ、参列者の皆様に玉串拝礼を執り行い祭典を納めました。
来年もたくさんの方の御参拝を心よりお待ちしております。
一足早い梅雨明けのおかげで真夏日となった6月30日(木)の午後4時、恒例の夏越の大祓式を執行しました。
これほど当日の天気を気にせず準備できたのは初めてでしたが、26日(日󠄀)に神社総代の人達が調整した茅輪は屋根のある弓場の下の置いて、毎日、朝晩と水をかけていたにもかかわらず、残念ながら茅の色がくすんでしまいました。
そこで急遽、午前中に総代有志が茅取りに行き、改めて茅輪を調整し直していただけたので、青々と輝いた茅輪で神事を迎えることができました。
今年は木曜日でしたが神職、総代を含め総勢150名近くの参加者と共に、まず大祓詞を奏上し各々知らず知らずに犯した罪穢れや願いを祈念しました。
そして、各自、切麻を以て自祓(じばらい)した後、皆がおさめた人形代をお祓いして大祓式をおさめました。
次に、夏は当神社の主祭神のスサノヲ命の神話から生まれた神事である茅輪くぐりを執り行います。
(詳細はHPの尾鷲神社のここがすごくね!?を参照して下さい。)
♪♪ みな月の なごしの祓するひとは 千年(ちとせ)の
命のぶといふなり (2回) 蘇民将来(そみんしょうらい)×4回 ♪♪
宮司と一緒に唱え言葉を歌いながら、神職等が先達する中、人形代、参加者と列を作って茅輪(ちのわ)を8の字を描くように3回くぐりました。
なお、今年も茅輪は7月5日まで設置しておきましたところ、1日以降に来られた大勢の参拝者の皆様にもお喜びいただき、茅輪くぐりを行っておりました!
来年も6月30日、午後4時に夏越の大祓式を執行致しますので、たくさんのご参加をお待ちしております!