良い天気で始まったゴールデンウィークでしたが、朝からいつ雨が降ってもおかしくない空が広がった4月29日(月)、午前10時より昭和祭を執り行いました。
皆様もご存じの通り、今日は大東亜戦争により占領国になってしまい世情厳しくなった昭和の時代に、正に日本の象徴として、又、大きな柱として様々な行事・業務にお尽くし下さり、日本を奇跡の復興に導かれた畏き昭和天皇のお誕生日です。
そして、世界の恒久平和を願い、世界で類を見ないこの萬世一系が絶えること無く今でも続いているのも、昭和天皇のおかげだと感じております。
今回は、その御功績を称えると共に先の大東亜戦争で軍部が国家総動員法に基づき、本土決戦を一億玉砕という無謀な考えを止め、自らの御命を以て停戦、先ずは被災している国民の支援を導かれた昭和天皇の御神威を授かり、未だに治まらない世界の紛争を止めて下さるように祈願致しました。
今年は氏子崇敬者、又、九州から来られた家族の方々がご参列いただきました。
これからもたくさんの氏子崇敬者󠄀の皆様とご一緒に昭和祭を執行したいと思います。
しだれ桜とともに、八重(古代)桜が開き始めたの4月16日に、恒例の尾鷲招魂祭が執行されました!
尾鷲市は昭和29年に旧尾鷲町、須賀利町、九鬼村、北輪内村、南輪内村が合併して誕生し、その際、尾鷲市は各地域の西南の役、日清、日露、そして、先の大東亜戦争で家族のため、国のために二つと無き尊い命を捧げて下さった戦没者、御英霊の御霊を合祀し作成された戦没者芳名簿を作成し、尾鷲神社におさめ、毎年、尾鷲神社と協力して尾鷲市招魂祭を行ってきました。
残念ながら、国内外の諸事情から戦後50年頃に尾鷲市は、招魂祭を取り止めて尾鷲市戦没者追悼式を開催することとなり、尾鷲神社では戦没者芳名簿を神社に残されたままとなったのを偲び、招魂社奉賛会が結成され、奉献された平和の碑にあわせ、招魂社を建立し、その御社内に尾鷲市戦没者芳名簿をおさめ鎮めております。
つまり、この招魂社には、尾鷲市全体の1447柱の御英霊が祀られております。
現在も御霊をお預かりしている以上お祭りを絶やすことはならないと、尾鷲市遺族会の会長・真井紀夫氏と相談しながら、ご遺族の皆様を始め、市長他、御招待者に招魂祭のご案内をしております。
今年は残念ながら雨のため、招魂社前ではなく尾鷲神社拝殿に約35名のご遺族、御招待者の皆様にご参列いただき、午前10時、太鼓の音を合図に祭典が始まりました。
祝詞で現在の日本の繁栄と平和があるのは、御英霊達の何事にも代えることができない御功績のおかげであること!そして、靖国、護国の神となられていつもお守り下さるが故であると感謝申し上げました。
そして、参列者一同、玉串拝礼を行い、皆で唱歌「ふるさと」を歌い祭典をとりおさめました。
式後に宮司、加藤市長、真井遺族会長よりご挨拶があり、それぞれ御英霊の御功績を讃えるとともに世界の恒久平和を願うことを参列者と共感し、その思いを込めて、濵󠄀中副議長の発声のもと、直会の御神酒をいただきました。
最後にお帰りの際、参列者の皆様に招魂社前で菊の献花を行っていただきました。
この戦没者の慰霊顕彰は、宗教などの枠にとらえられず、人間の真心、精神として執り行っていかねばならない事だと、改めて実感した祭典でした。
春を迎えたかと思う程まで気温が上がったかと思えば、早朝より厳しい冬のような寒さとなる気候の中、4月1日(月)、午前9時より月旦祭を執り行いました。
世間では春休みと言うこともあって、たくさんの子ども達も来てくれて総勢24名の氏子崇敬者と共に、小林製薬㈱の紅麹菌による健康被害が速やかにおさまるように祈願しました。
修祓 → 一拝 → 献饌とすすめ、祝詞を奏上し、神德太鼓による太鼓大祓を行いました。
最後に参列者の玉串拝礼!
子ども達にも作法を教えて、全員、神前に玉串を奉り拝礼致しました。
古き良き日本の原風景を感じた月旦祭となりました。
これからもたくさんの皆様のご参列を心からお待ちしております。